蘇る青春

シリアルナンバーとしての始動は、
6月なのは既報のとおりですが、
その前に、このお芝居をやっております。
そう。シェイクスピア。夏の夜の夢。
昨年ご一緒した陽だまり座の皆さんとタッグ再び。

しかしー。とうぜんだけどタイヘンです。
セリフをそうとうカットさせていただいて、
それでもやっぱりタイヘンです。
いやほんと。タイヘンです、しか出てこない。

年明け以降の土日をすべてこの稽古に捧げているのですが、
半日ギッシリかけた稽古が終了するころには
マジでグッタリ。
稽古大好きを公言し、
稽古してる分には疲れを知らないわたしが、
口を聞けないほどの疲弊感。

演技を実際にやってみせないことでは、
人後におちないわたしですが、
やって見せないことにはどうにもできない。
田島さんがオーベロン役で出演してくれてるので
田島さんを相手役に、
昨日は、
妖精王オーベロンと女王ティターニアが
魔法を掛け合うというシーンや
ヘレナがディミトリアスに
「わたしはあなたのスパニエルよ。」
と叫びながら、四つん這いになり、尻尾を振るシーンを
熱演。
(そんなシーンあったっけ?という質問は
断じて受け付けませんよ。)
妖精パックも妖精も職人も、
この際、ぜんぶやってみせます。
やらないと進まないのです。

結果、グッタリ。

(余談ですが、「おとうふコーヒー」の現場では、
青木さん、かなりやってみせてました。
しかもそれが超巧い。)

そんななかにも楽しいことはたくさん。

夏の夜の夢といえばなんといっても恋、
恋、それは青春。

セリフが入ると同時に恋への情熱を思い出してくれたらしく
ここのところの稽古でついに
熱いエネルギーが稽古場に溢れ始めました。
捧腹絶倒のシーンもあります。
まだぜんぜんそこに到達できず、スーンとしちゃうシーンも
あります。
本番へのデットヒートです。笑。
しかしですね。化けたときの凄さが妖怪なみなのは
この年代、しかも演技体験の少ないひとたちの
醍醐味なのは、言わずともわかってますよね。みなさん!!

そして、田島さんが、
オーベロン役として通し出演致します。
(芝居は3チームあります。トリプル・キャスト
その3チームすべてに出演します。)
ムダにカッコいい。
いや。カッコよくていい。
なぜならオーベロンだから。
歌い、踊り、なぜかひとりだけほとんどセリフを
カットしてもらえない田島さんを堪能できる作りと
なっております。
田島さんの二枚目はserial numberではしばらく封印なので、
この機会にぜひご堪能ください。

ご予約方法などは、メールマガジン
「最速シリアルナンバー」でお知らせしますね。
少々お待ちくださいませ。

オールドルーキーでさえなくても

韓国でのinsiderリーディングのこととか、
いろいろ書きたいことはあるのですが、
まずはこのことを。
芸術選奨 文部科学大臣賞 新人賞 というのをいただきました。

この時期は昨年一年の活動に関しての賞が発表される時期で、
昨年に引き続き
鶴屋南北戯曲賞の最終候補に選んでいただいたりはありましたが、
なんとなくひと段落。
そんなタイミングで考えもしてなかった賞をいただき、
ほんとうにビックリしました。

3月8日の情報発表までは、
他に誰が選ばれたかも知りませんでしたので、
発表を見て、
自分の場違いさに改めて恥ずかしくなってしまいました。
そんななか、利賀村で参加した、
若い演劇人たちを集めてのアートマネジメントの勉強会で、
平田オリザさん、安田雅弘さんとともに、
惜しげもなくすべてを教えてくれた宮城聰さんが
文部科学大臣賞ということで、
いっしょに受賞させていただいたことは
嬉しいできごとでした。

これも支えてくれた俳優たち、
最強のスタッフたち、
そしてなによりお客さまのおかげです。
ほんとうにありがとうございました。

選考理由にありましたように、
「アンネの日」そのほかの成果、でいただきました。
製作母体となってくださった
三鷹市芸術センターにも大きな感謝を。
また選評で言及していただいた
「海の凹凸」の俳優座さんにも改めて。

わたしは、長いこと無名も無名でした。
早咲きの才能が多い演劇界で、
明らかに天才ではなく、
たいした評価もされず、
お金の苦労だけはものすごくしながら、
演劇を続けてきました。

強みがなにかあるとしたら、
ずっと演劇以外の手段で口に糊してきたので、
わりとしっかりビジネスの現場を体験していること。
ダブルワークで
まったく向いてないホステスをやって
劇団の借金を返していたこと。
そういう一見演劇人としてはムダな、
人生の体験値です。
それから、演劇を、とにかく演劇を
さぼらず観てきたこと。
知らないあいだに身体に溜まった演劇知は、
わたしの財産です。

大好きな竹原ピストルさんの歌に、
「オールドルーキー」というのがありますが、
その言葉で思い起こすのは、
それでも30代くらいなのかなと思います。
なので「オールドルーキー」という言葉すら
もう似合わないわたしですが、
創りつづけられる喜びを大切に、
丁寧に演劇を創っていければと思います。

写真は、授賞式に参加してくださった俳優座の岩崎加根子さん。
そして相方の田島亮くん。
3名しか列席できない授賞式にはあと三鷹の森元さんが参加して
見守ってくださいました。
そしてお着物は、着付の同期が着付けてくれました。
会場のホテルになぜか着付師ふたりを連れて乗り込んだという。
大物か。笑。
でも、今までは先輩にお願いしていた着付を、
なんの心配もなく同期にお願いします、と言えて
素敵に着付けてもらい、それも嬉しい授賞式でした。

ほんとうにありがとうございました。

器とか

台所のものだけは、わりと
いいものを使っています。
鍋も細々した調理器具も時間をかけて探したので、
もしダメになっても同じものを買うと思います。

そんななか、増やしすぎたくはないけど、
やはり器はとくべつだなと思います。
小道具とかだと100円均一のものとか使うけど、
あれはいやなものね。
なので、ひとに頼むときは贅沢言いませんが、
自分で小道具をやるときは、
リサイクルをマメに探します。

そして自分が使っているものは、
何年もかけてコツコツ集めたものです。
好みが変わっていくので、
いまとなっては、これどうかな、とか、
超気にいって買ったけどそういえば使ってないね、
とかあります。

ずっと粉引きのものが好きだったけど、
最近は、茶色くて武骨なカンジの食器、
欲しいなー、と思っています。
前はツルンとしたのが好きだったけど、
しのぎのものに夢中だったりなど。
昔から興味がなくて、
いまもって興味がないのは藍染の食器。
ひとつ気に入ったものとか手にいれると
たくさん買いだしそうな気がしますけどね。

いまいちばん愛しているのは、
このマグです。
しのぎっていうのは、こういう陶器の表面が、
削られたもの。
元は刀剣とかの高くなってる部分のことらしいです。
しのぎを削るっていうのは、そこが削れるほど
激しい戦いのことなんですって。いま調べました。
いっしょに買ったグラタン皿は、
いま現在、オーブンがないのと、
グラタン作ってまで食べたくないので、
あまり活躍してないです。

それまで最愛だったこのマグは、

すっかり出番がなくなりました。
ポイントは大きさと持ち手。
持ち手の開きが小さくて持ちづらいんです。このコは。

いま毎日のように出番があるといえば、

このお皿だと思います。
かの有名な、ほぼ日の、例の、
「ほんとにだいじなカレー皿」です。
とにかく毎日使いますね。
カレーはもちろん、サラダも、パスタも、
おかずもすべてこればかり。
そんなね。ミーハーか、ってカンジですが、
いいものはいいんだよね。いいものは、いい。

最新版は、これです。

沖縄で廃校でやっているアートフェスに行き、
そこで遭遇しました。
最初の画像がその展示風景。
そしてコレがポトフを盛ってみたところ。
沖縄でしたが、まあまあな値段でしたが、
一瞬で決意して買いました。
問題は器としての完成度が高すぎて、
なかなか使用できないことです。
なにが合うのかな。
いや。カレーは合うと思うんですが、
色がつきそうで二の足を踏んでいます。
わたしが思うに、同じポトフでも、
もっとゴロっと野菜を煮て、
大きいのがドンドン、みたいに盛ると
合うと思うんですが、
グズグスになるまで煮込んだキャベツ、
諦められないですよね。
意外にハンバーグとかいいかもしれないなー。
ハンバーグとか、ステーキとか。
深いんですけどね。カーブが。
でもそういうオシャレな料理が合いそうですね。

以上、どうでもいい器のエントリーでした。
そのうち、おたまとか、皮むき器とかの記事を書きます。

地と風と水の駅

転形劇場のことを書いた過去記事
別なブログにあって、
それは太田省吾さんの訃報に触れたときのものだ。

大杉さんの急すぎるご逝去にあたっても、
これ以上書くべきことがないような気がする。

大谷石の採掘場でやった「地の駅」には、
バスツアーで行った。
どう考えてもメジャーコードではない、
沈黙の芝居に、バスツアーが出て、
たくさんのお客さんが行く、そんな時代だった。
いまより、たぶん、お客さんの咀嚼する、
顎の力が強かった。
そして、岩手から上京してまで
そんな芝居を観たかったわたしは、
文化というものに対して、
どれほどにも背伸びしたい少女だったのだろう。

そして、そんな世界的な評価のある凄い劇団なのに不器用で、
いつでもナゾの待ち時間があった。
表参道の銕仙会能楽堂の前に出来た絶望的な長蛇の列は
忘れられない。
あの頃はチケットぴあなんてなかった。
電話して、ドキドキしながらチケットを取った。
いつまでも自分の順番がこなくて、
ようやくチケットを買って会場に入ると
信じられないくらいギチギチの場所に詰め込まれ、
ヒザを抱えて、
咳さえ許されず、あの芝居を観たのだ。

水の駅も有名だけれど、わたしは、
小町風伝の漣さんが忘れられない。
それは痴呆の老女(佐藤和代さん。名優)が、
インスタントラーメンを作る、
その数分間を、
芝居にしたものだ。

客入れするとすでに人々がゆっくりゆっくり
スローモーションで橋がかりを進んでくる。
宮廷行列なのかと思った人々の群れは、
じつは貧しき底辺のひとたちで、
運んできたのはあばら家のパーツであり、
それらを組み合わせ、
無であった舞台に老女の家が立ちあがる。

漣さんは隣の家の吃音の青年。
社会になじめない彼を老婆は愛し、
官能的な交流を持つ。
これと水の駅の漣さんのシーンは、
わたしが演劇で見たなかで、
もっとも色っぽいシーンだ。
素晴らしい俳優さんばかりの集団だったけど、
漣さんには、
その集団にはどこかそぐわない華があった。

好きな劇団はほかにもある。
しかし愛したと言い切れる劇団は転形劇場だけだ。
わたしの駅、立ち返る場所。
最後までうつくしかったひと。
まだまだ生きるべきだった、でも。
冥福をお祈りするしかないじゃないか。

海に還る

石牟礼道子さんが亡くなった。
と書く日はいつか来ると思っていたけれど、
ついにその日が来てしまった。

高校一年生のとき、倫理社会の副読本に、
『苦界浄土』の一部が掲載されていた。
本屋に行って、すぐに購入した。
一気に読んだ。
そして、夏休みかなにかの読書感想文を書いた。
それが県でいちばんになって賞をもらった。

賞というものにほとんど縁がない人生だったので、
その賞はとても長く、わたしにとって
唯一人生でもらった賞だった。

それは、どうでもいいのだけれど。

『苦界浄土』からわたしの自覚できる意味での人生は始まった。
それまでは親がくれた命をただ生きていたこどもの時間だった。
物を見る物差しを、その本がくれた。
わたしはずっと、『苦界浄土』と。
そして石牟礼道子さんという作家のまなざしの在り方を、
礎にしてものを書いてきた。

『Hg』を書くときに、はじめて水俣に行った。
わたしにとって『苦界浄土』の世界のなかに固定していた水俣にも、
現在という時間が流れていることを知った。
紙資料だけに頼らず、
かならず現地を歩くことにしたのもそれからだ。
そのときも石牟礼さんの態度というものが、
どこかでわたしに貼りついている。
取材というフォワードな態度をとることができない。
傾聴する、ということ。
自分の作劇にとって、
おいしい話を引き出そうと躍起になっていると
見失うことが多すぎる。
自我を無くし、重心を下げ、傾くようにして聴く。

『Hg』を書くときに、『苦界浄土』はしかし再読しなかった。
書き上げてから、一気に、続編まで読んだ。
豊かで、哀しくて、美しくて、
ひとつも色あせぬばかりか、
わたしが年をとった分だけその深さが身に染みた。

写真は、水銀を埋め立てたコンクリと
水俣のうつくしい海の境界線である。
このコンクリが経年劣化で、
水銀が流れ出す可能性が危惧されている。
九州でも地震が相次ぎ、それもまた心配だ。
60年かけて、ようやく取り戻した美しい海。
天の魚。無農薬の農産物。
石牟礼さんは、はらはらと見守っていることだろう。

水俣だけではない。
彼女が全身で守ろうとしてきたものが、
もろもろと崩れそうな世界をいまわたしは生きている。
最後まで背中を追っていきます。
諦めないと約束します。
石牟礼さんの魂が、
心安らかにねむれる世界のために書いていきます。
いかなければと思います。
足元にさえおよばなくても、それでも。
ありがとうございました。
わたしの人生を照らしてくれた大切な文学。
そのすべてを。
ありがとうございました。