ガウディの街を歩くーサグラダファミリア編-

バルセロナに行きたい、と人が言うとき、
その大きな一部をガウディが担っているのではないかと思います。
ピカソもミロもダリも、
他の場所でも見ることができる。
でも、ガウディが一生涯をかけて作ったサグラダファミリアは、
バルセロナに行かないと会うことができません。

わたしの知る、バルセロナに行った人たちは、
皆、ガウディの建築は呼吸してる。
行かないとわからない。

と言います。
悔しいなー、と思っていたけど、
でも確かに写真でだけ見ていると、
どこか怪物じみた、
建築という概念を外れた
異形の建築に感じられます。

そんなガウディの建築に、ようやく、
会うことができました。

じっさい目の当たりにすると、
たしかにバルセロナの街並みのなかでも
異彩を放ってはいるのですが、
写真で見ていたものとはまったくベツモノなんだな、
とわかります。

なんとなくダリとかガウディ好き、
と言ってればカッコいいんじゃない、って勘違いしてた若い頃。
バウハウスみたいな直線の建築が好きで、
もしかしたらそこまで好きじゃないかも、って思ってた
それからの年月。

じっさいに見て、触れて、
いまは、好きを超えたなにかを感じています。
すべてが特別すぎました。

初日、いちばん最初に、サグラダファミリアに行きました。
最初と最後がサグラダファミリア。
そう決めていました。

サグラダファミリアのドキュメンタリで、
サグラダファミリアはあまり大切にされていない、
なぜなら、周りの景観は平凡で、
地下に鉄道を通そうとしている、
というくだりがありました。
(サグラダファミリアが建築許可が切れていた、とか
そういう問題が背景にあったらしいです)

最寄りの地下鉄駅を降りて、階段を上ると
そこにはサブウェイとかマクドナルド。
あー、ほんとに映画で言ってた通りだなあ、と思いながら振り返って、
飛びのいてしまいました。

なぜならそこにとつぜんサグラダファミリアが聳えていたから。

これは生誕のファサード。
よく写真で見るのは、前に公園があって、
その池越しに撮った絵です。
じっさいは、あんなに美しい場所に立っているわけではありません。
そうですね。。。
渋谷のヒカリエのかわりにサグラダファミリアが立ってるカンジ
を想像していただけると。

でもそんなこと、まったく関係ないくらい、
サグラダファミリアは美しかった。
じっさいに行ってみないと、
そして中に入らないと、
この素晴らしさはわからないと思います。

裏側に受難のファサードがあります。

予約するとき、どちらのファサードから入るか、
どちらの塔に上るか聞かれます。
塔には登らないチケットもあります。
おそらくとても悩み、もしかしたら両方、
時間や日を変えて入ろうか、と考える方もあるかもしれませんが、
その必要はまったくありません。
なぜなら、内部はひとつに繋がり、
塔も登ると回廊で繋がれて、
どちらからも降りてこられるからです。
そして、生誕側から入ったひとは受難の側へ、
受難から入ったひとは逆の順路で、
出たり入ったりできるというか、
ガイドツアーがそういう作りになっています。

わたしはでも、やっぱりガウディが生きている間に完成した
唯一の門である、生誕のファサードから入りました。
生誕のファサードには、なんと。

ロバがいましたよ。
この他、ロバはキリスト生誕のシーンでも、
横に控えて見守っていました。

こんなところにもロバが。

オーディオガイドは日本語が用意されています。
ほぼすべてのガウディの建築で日本語ガイドがありました。
日本人観光客もとても多いです。

オーディオガイドはとても丁寧に作られています。

ここが祈りの場であること。
はしゃぐために来る場所ではないこと。
きちんと説明してくれるし、
世界にすっと吸い込まれていくような気持ちにさせてくれます。

内部は、無宗教なわたしも敬虔な気持ちになる、
あたたかな荘厳さに包まれていました。
ガウディの建築で、
意外だったけれど、いちばん感じたのは、
このあたたかさです。
曲線が多用された有機的な建築だから
というのもあるかもしれませんが
おそらくはこの建物が持つ哲学が
孕む温度であるように思いました。

これは、生誕側のステンドグラス。
生誕の側は、ブルーを基調にした寒色です。
受難の側は、オレンジを基調にしています。

サグラダファミリアには、
自然のすがたがいろいろなかたちで取り込まれています。
果物が掲げられた塔や、
絡まる蔦の彫刻、鳥、
光のありさま、
逆らってはいけない、
と生前のガウディは常に考えていたそうです。

その中で、
人間というのもそれらのものより偉いものでも
劣るものでもなく、
等価に捉えられている。

それは、そのまま、いのちを、
肯定してもらっている、
そういうことなのだと思いました。

有機的すぎて
もしかしたら怖いと思うかもしれないと思った内部は、
ただただ美しく、歩いていると、
森であったり、山の中だったり、
そんな場所にいるような気持ちになります。
わたしたちはここから来て、ここに帰るのだ、と。
そうだ。ヤンバルの森のような。

塔にはエレベータで登ることができます。
塔に上ることができる券を買うと、
塔に上る15分まえくらいに入場となるので、
入ったらすぐに塔にのぼらなければいけません。
わたしたちはノンビリオーディオガイドを聞いて
いろいろ堪能してから行ったので、
ほんとはダメだけど登っていいわよ、と係の方に言われました。
ハイシーズンだとそのあたり厳密かもなので
お気をつけください。

これは塔から下を見下ろしたところ。
塔に上らないチケットもあるけれど、
せっかく行くのならぜったいに上ったほうがよいです。
胎内を歩くとはこういうことなのか、という
体験ができます。
階段を下りているあいだほんとうにしあわせでした。
ただ階段を下りていくだけなのに。
この時間がずっと続いてほしい、と思いました。

自分でもちょっとびっくりするくらいいい顔をしているわたし。
自由ですね。とても自由。
ガウディは言いました。
「人は不自由な存在だ。しかし、人間の意欲のなかに自由は存在する。」
モノを作るひととして、
いちばん手放してはいけないスピリットを、
わたしはその時、
この手に握らせてもらっていたんだと思います。

サグラダファミリアは、ガウディが設計者とは言いますが、
スペイン市民戦争で、模型も資料もすべて燃やされ、
いまは、ガウディが残した部分をもとに、
さまざまな人の英知と技術によって作り続けられています。
ガウディの残した言葉、思想をもとに、
作られている、とても特殊な建築です。
関わっているひとたちは、
ガウディならどう考えるか、と深く思考しつつ、
だからと言ってガウディにおもねず、
作り続けています。
そんな作り方をされている建物があること自体が俄かには
信じられません。

日本人としてサグラダファミリアの彫刻を掘り続け、
重要な仕事をたくさんされている
外尾哲郎さんという方がいます。
その方の「ガウディの伝言」は名著だとわたしは思うんですが、
わたしが百の言葉で説明するより、
ずっとこの建物やそれを成り立たせている思想を
知ることができると思います。
コチラにインタビューがあります。

ガウディは最後、不慮の事故によって亡くなっています。
最後の日、たくさんの技術者たちにこう声をかけたそうです。
「諸君、明日はもっとよい仕事をしよう」
その明日は巡ってはこなかったのですが、
その精神は脈々と受け継がれています。

本来は演劇も、そのように作られるべきなんだろうと思います。
戯曲という設計図があり、
演出家が道筋を作る。
でもそこから先は、
俳優やスタッフたちが自分の存在をかけて、
彫りだしていく。
最後に作品ができる。
それは誰のものでもない。

住宅を作るときは、
オーナーがそこに住んで幸福であることを大切にしたということを
帰ってきてから読んだ本で知りました。
そう。我の強い天才だと思っていたガウディは
(気性はとても激しいひとだったそうですが)
むしろ建築の考え方は徹底して無私のひとだったのです。

そのことは知らなかったけれど、
わたしはいろいろな瞬間に、
そのことを感じ続けていたような気がします。

ヨーロッパの教会はどこも、
神様にささげられたものは美しいな、
と思わせる特別な場所ばかりですが、
サグラダファミリアは、神様の幸福のために創られた場所。
そんな思いで作られた教会が、この世にあるなんて。

ガウディは、
自分で作った美術館に埋葬されたダリ同様、
このサグラダファミリアの地下に埋葬されました。
教会の地下に、一介の建築家が埋葬される。

ほんとうは今日だけでガウディを書ききるつもりだったけど、
とても無理でした。
あとほんの少し、お付き合いください。

カダケス ダリの卵の家へ

さて。今日は超大はしゃぎになります。
いや、それはちょっと、という方はここで引き返してくださいね。
仕方ないんです。

バルセロナからエクスプレスで1時間20分ほどのところに、
フィゲラスという街があります。
そこは、ダリの生まれ故郷。
ここには、ダリ劇場美術館 という、
ダリの美術館があるのです。
ここに行きたいがために、バルセロナ滞在は長めにとっていました。

フィゲラスだけならいいんですが、
わたしにはもうひとつ野望(というほどでもない)がありました。
ダリがガラと晩年を過ごした自邸。
卵の家に行ってみたかったのです。
そこは、フィゲラスからさらにバスで一時間ほどの
カダケスという港町にあります。
バスが一日3往復くらいしかないので、
バルセロナから日帰りはけっこう大冒険。
何度も何度も、バスの時間、そしてエクスプレスの時間、
そして美術館と家の予約の時間。
どうするのがいいかシミュレーション。

ほんとにこのプランで行って帰ってこられるか不安すぎて
どうして田島さんに国際免許を取っておいてもらわなかったかな、
と後悔したくらいです。
まあバルセロナからオプションツアー的なものが出てる気がしますが、
そういうのって超高いからね。
いま調べたらひとり230ユーロですって!!
個人でがんばれば、ぜんぶで80ユーロくらい。
サイトには、個人で行くのはムリって書いてたけど、
やればやれる!!やったから!!わたしは!!

というワケで行ってまいりました。
フィゲラス&カダケス。
結果から言うと、一泊してもいいから行ったほうがいいよ、
とオススメしたいです。
楽しすぎました。

朝。バルセロナ・サンツ駅というところからエクスプレスに乗ります。
早めに行きましょう。
なぜならエクスプレスに乗るには荷物検査があります。
わたしのときは、なにかのスポーツの大会に行くらしき
高校生たちとかち合いました。
改札抜けるまですっごい時間がかかった。

電車も予約できるので予約しておいたほうがいいです。
チケットを現地で買おうとするとシステムとか言葉の壁に阻まれて
買えないことがあるのでね。
とは言え、バルセロナは、
機械化されたのが遅かったのか、
エスカレーターもゆっくり安全(ロシアとか凶器に近い)だし、
地下鉄も次の駅はここだよ、って電光表示してくれるし、
日本に近い感覚で移動できます。

で、移動しまして、フィゲラス・ヴィラファント駅へ。
ここも注意点。
フィゲラスにはローカル駅であるフィゲラスと、
エクスプレス駅であるヴィラファントがあります。
そのあいだの距離は徒歩で40分くらいではないかと。
新幹線駅は離れてるみたいなカンジです。
で、ダリ劇場美術館は、ヴィラファントから徒歩30分近くかかります。
ちなみにフィゲラスからでも15分くらいです。
バスに乗ろうとしたら歩いたほうが早いよ、と言われたので歩きます。

これは内部で撮った写真ですが、
とつぜんこの卵が飾られた、そしてパンが張り付けられた
赤い壁が見えてきたら、そこが劇場美術館です。

ダリ劇場美術館は、
ダリが生きているあいだに開館した美術館です。
有名な絵画はそんなにたくさんは置いてありませんが、
ダリ自身による遊びこころ満載の、
それはそれは楽しい美術館です。
もともと劇場だった場所を美術館にしたそうですが、
展示もまさに劇場。
この場所を与えられてイマジネーションが湯水のように
湧きあがったダリの躍動する姿が、
そこかしこに踊っているような楽しい美術館です。
こんな美術館、初めて行きました。

ダリはここの広場みたいなホールの真ん中に、
観光客たちに踏みしだかれるようなカンジで埋葬されています。
幸福な人生だなあ。

入った正面にこんなオブジェ!
ドーン。

車の上部にある彫刻を裏から見たところ。
垂れ下がっている!!なにかが。

フランスパン!!
ダリといえば、フランスパン!!
全体のフォルムもナゾめいてますが、

細部に蟻。

こういう楽しい展示物が、あっちにもこっちにも、
誰も見ないかもしれないようなところにも、
展示されています。

そういうダリもピカソ同様、
アカデミズムな意味でも素晴らしい技術のある画家でした。
これは、ガラのうしろ姿。
ガラはご存知とは思いますが、
友人から略奪した、
ダリが生涯をかけて愛した妻です。
ダリの絵の女性はほとんどガラがモデルです。

これもガラのうしろ姿と、それを描くダリの手。

この絵は超巨大です。
その絵を観てる人たちの足元の一部、
床の色が違うのがわかるでしょうか。
ここがダリのお墓です。笑。
気づかず踏んでるひと、たくさんいそうです。

ひとつひとつはふざけてるのかな、というような
自由闊達な作品ばかりなのですが、
創作姿勢はいたって真面目で、
アートをすごく愛していて、
特に晩年は、コンセプトに敬虔なキリスト教者としての
思想があることもわかりました。
現地まで行ってみて、
コマーシャルで、資本主義的な成功を是とし、
奇矯な変人と思っていたダリの別の顔を見た気がします。

そして、どんなに人気取りしたくても、
誰もこんなこと思いつかないよね、
という真の天才だということもわかりました。
奇を衒えばこんなものができるなら誰も苦労なんてしない。

ダリのせいでココロが開放されて、
自由に暴れるわたし。

やっぱりワニが好き。

押さえきれずダリとともに躍動するわたしと、

躍動を強制された田島氏。

そして、わたしたちは、今度はフィゲラス駅に向かい、
カダケス行きのバスに乗りました。

カダケスはフィゲラスに生まれたダリが、
少年時代、毎年避暑に訪れた場所だそうです。
都会の喧騒を離れアトリエを持とうと考えたときに、
ここカダケスがいいととつぜん浮かび移住したそうです。

というわけで一路向かったわけですが、
これがもう信じられないような山道。
こんなとこ、こんなデカいバスでヘーキなの、
というようなところです。
運転荒いし、いのちの危険すら感じました。
乗り物ダイジョウブなわたしもだいぶ酔ったので、
酔いやすい方は酔い止め必須でしょう。
片道1時間ちょっとですが、カダケスは保養地なので、
バカンスの季節は、この道が渋滞でたいへんな
ことになるようです。

なのに、ポール・リガト(卵の家)は、
完全予約制なうえに、入る時間の30分前までに
受付するのがマスト。
しかもバス停から20分くらい歩きます。
→どこでも徒歩で行くわたしたち。
遅れるとあとの時間に回されたり、
いっぱいすぎたら入れなかったりすると聞いたので、
緊張しましたが、
13時30分のバスに乗って、14時50分カダケス着。
15時20分の締め切りに意外にギリギリでした。
ハイシーズンに行く場合は、カダケスで一泊するくらい、
余裕のある旅程を組んだほうがいいかもしれません。
美しい青い海とステキなレストランもたくさんある、
いい街ですから。カダケス。

これはカダケスの街をポール・リガトへ向かい歩く道。
明るく光りに満ちていて、
歩いているだけで楽しいです。

30分は海辺でボンヤリタイム。
これがとにかくいい時間。

で、時間が来たらいよいよ入場です。
10分置きに、たぶん10人くらいづつ。
ガイドさんがついてくれるのですが、
その方、ステラおばさんのクッキーのステラさんみたいな
ホノボノした外見の方なのですが、
スペイン語、フランス語、英語を扱うトリリンガルでした。
わたしのときは、
スペイン語のひと、フランス語のひと、
そしてわたしたちが英語と、
大車輪でした。
すごーい。かっこいい!!

有名ですが、入るとまずこのひとがいます。
ああ。わたし、ダリの家に来たんだ、
と誰もが実感するに違いありません。

リビング。
しかし抜かりなく羊のはく製が!!

そしてどうしてもはく製は撮りたいわたし。
掲載するにあたってはだいぶ遠慮しましたが、
自分でもどうかと思うくらいの
はく製の写真がi-phoneに残されていました。
なのに綺麗な海の写真とか、
白いリゾート地なカダケスの写真とか、
インスタ映えする写真がほとんどありません。

ベット。美しすぎる。

ダリの多彩な交流の記録である写真のなかに、

ダリとデュシャン。
地味に興奮するわたくし。

そうそう。ダリってあのヒゲの写真のイメージが強いですが、
若いころは信じられないくらいイケメンなんですよね。

奇人変人と言われてますが、
友人に対してはきめ細やかな常識人だったそうです。

シューレアリスムの鉄人、ブルトンに、
「ドルの亡者」となじられましたが、
じっさいのダリは、
資産の管理はガラに任せっぱなし、
お金がなくても友人には貸してしまうという、
そんな人だったそうです。

カダケスからまたバスでフィゲラスへ。
フィゲラスからフィゲラス・ヴィラファントに
30分で移動しなければ帰りのエクスプレスに
間に合わないのがいちばんの心配でしたが、
タクシーの運転手さんが文字通りぶっ飛ばしてくれまして、
10分前に駅に到着。
なんとかバルセロナまで帰ってこれました。
これもオフシーズンだったから可能だったのでは、と思います。

行った場所がリゾート地ということもあり、
旅のフィナーレに相応しい小旅行でした。
楽しかったです。
ダリはバルセロナで堪能することはできないので、
ぜひフィゲラス&カダケスへ。

明日は、いよいよバルセロナへと来た理由。
ガウディについて書きます。
読んでくれてありがとうございます。

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バルセロナにて魚とピカソ

ベルリンからロンドンに向かったのですが、
ロンドンは、演劇編に譲りまして、ブログはひとあし先に
スペインへと向かいます。

ロンドンの演劇以外の特記事項としては、
子供の頃からの憧れ、自然史博物館に行けたことです。
入口にダーンと飾られた鯨の骨格標本、
そして、充実の恐竜の展示にどれほど憧れたことか。

・・・しかしですね。
恐竜・・・正直に言うと、たいしたことなかったです。
(恐竜マニア)
幕張で開催される大恐竜博のほうがずっと凄い。
(基本としては毎回行く)
最近は上野の科博も頑張ってる。
とはいえ、行ってみないといつまでも行きたいままですからね。
行けてよかったです。
通りすがりに大英博物館で、
ロゼッタストーンも観ましたよ!

というワケで、バルセロナです。
バルセロナは、これからそれ、書くんだ、と
考えただけで疲れるほどに盛りだくさんでした。
そして、ごはんがとにかく美味しい。
自分が食いしん坊であることをとつぜん思いだし、
いきなり食事に貪欲な姿勢を見せるわたし。
あと、ひとがとても親切。びっくりするくらい親切。
なんせホテルに夜中についたのに、
フロントのおじいさんが、
地下鉄の乗り方とか、わたしたちが行くであろう
名所の行き方とか丁寧にレクチャーしてくれる。
いろんな国があって、
いろんな人たちがいて、
すごく楽しい旅だったけど、最後がスペインで、
バルセロナでよかったなって思います。
人見知りのわたしでも、ひとと触れ合えたから。

写真は、バルセロナ水族館です。
旅行先で、水族館とか遊園地行くのが好きなんですが、
盛りだくさんすぎて行けてませんでした。
ベルリンなんて、動物園駅っていうところにホテルがあったのに!
ベルリン動物園、徒歩5分だったのに!!
この日は、ミロ美術館がなんと、日曜日は15時で閉館だよ、
の罠にかかり、時間がポカンと空いちゃったので行くことができました。
(つまりミロは見損ねたのよ)
楽しかったですが、日本の水族館に慣れていると、
正直やや物足りないですね。
わたし、水族館は全国各地行っているので、
目が肥えすぎていたかもしれません。

充実のブログは明日に譲ることにして、
ピカソ美術館について。
有名なゲルニカはマドリッドにあります。
バルセロナは、
ピカソが生きているころに開館した唯一の美術館ということで、
ピカソが若いころの作品をたくさん寄付していたりして、
ちょっとマニアックです。
美術館としては、お城をひとつまるまる使って、
立体もたくさん展示された、
パリのピカソ美術館のほうが楽しいな、と思いましたが、
ピカソが古い絵画をリスペクトして再構成して描いた絵を
そのプロセス含めて観ることができたり、
そういうのがとても楽しかったです。

これはベラスケスの「女官たち」という作品ですが、
それのピカソパージョンが

コレ。この女官たちには特別の思いがあるらしく、

いろんなバージョンがありました。
作品を観たらなるほどと思うのですが、
どうしてこうなるのかが不思議です。
ピカソも、明日、お腹いっぱいというくらい特集される予定のダリも、
生前にアーティストとして成功したひとというのは、
そういうひとにしかない良さがありますよね。
おおらかというか、自由というか。
それとも自由だから愛されたのかしら。

というわけで、
今日はサクッと終わらせて明日に備えます。

読んでくれてありがとうございます。
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ベルリン・ユダヤ博物館

今回の旅は、どこも行ってよかった場所ばかりでしたが、
行けたら行く、くらいの予定にしていて、
行くことにしてほんとうによかったな、という場所がここです。

2000年にできた美術館で、
できる前から展示の方法が話題になっていたそうですが、
わたしは今回行くまでまったく知りませんでした。
もっともユダヤ博物館というのはヨーロッパのいろいろな場所にあります。
ロシアにもありましたし、クラクフにももちろんあります。
ドイツだけでもミュンヘン、フランクフルトと各所にあります。

プラハに行ったことがあるのですが、
ユダヤ人街はとても印象的でした。
敬虔で厳密な暮らしぶりが窺い知られ、
殺されたときの血痕を敢えて残した壁に、
殺されたユダヤ人たちの名前が書かれていました。

しかし、おそらくどことも位相の違う展示をしているのが
ここ、ベルリンのユダヤ博物館です。

手紙、写真などのメモリアルなものももちろん展示されています。
厳選され、ひとつひとつ丁寧な解説がついていて、
こころに響く展示なのですが、
なによりも、
迫害を、ホロコーストを、
現代美術の力で体感させる、という物凄い試みがなされています。

わたしはそんなコンセプトはまったく知らずにここに行ったのですが、
最初の部屋に入った瞬間に、それを理解しました。
そこは最低限の光しかなく、
ふたつの鏡が、逆方向に回っています。

わかりづらいと思いますが、
田島さんが立っている前にあるのが、
これがそこに置かれていた鏡と同じタイプのものです。
上と下が逆回転しているので、
わたしの上半身と下半身は、
一瞬出会い、また引きちぎられ、遠ざかっていきます。

これが暗渠というような空間に置かれていて、
そこに亡霊のように浮かんだ自分の姿が映ります。

ユダヤ人たちが、アウシュビッツまで連行されるときの、
言いようのない不安。
それを追体験しているのだ、と思いました。

廊下は、順路ではなく、
すべてが行き止まりになっています。
不安定に傾き、わたしたちは、
自分の存在の不確かさに眩暈のようなものさえ感じます。

これは、ベルリンに残った両親からイギリスに逃がした子供に宛てた手紙。
このご夫婦は、アウシュビッツで亡くなっています。

これがユダヤ人捕虜につけられたユダヤの星。

この展示の先に重い扉がひとつあります。
わたしたちが行ったときは、
そもそもそんなに人が多くはなかったので
(とは言え、平日の午後なのにたくさん人はいました)
特に人数制限はされていませんでしたが、
ハイシーズンは厳密に管理され、
ある一定数しかその先には行けないそうです。

重い扉の先は、
ホロコースト・タワーという部屋です。
天井のあたりに切り傷のように開けられた窓から
一筋の光が差し込むだけの部屋。
亡くなったたくさんの方々を悼むための場所であり、
ガス室に閉じ込められたその瞬間の闇を追体験するための
場所でもあります。
この圧倒的な心細さ。
孤独。
哀しみ。

展示というものに対しての概念を刷新する体験でした。

わたしは、その場所で、
ビルケナウのガス室を捕虜の方と同じ順路で歩いたとき以上の
当事者性を感じました。
そんなことができるなんて、考えたこともなかった。
それは、たとえば、田老町の震災遺構となった旅館の5階で、
その記録を撮ったのと同じ場所で見た津波の映像とか、
そういう体験は、それなりにはしていると思います。

しかし、そういう具体性はまったくなしに、
アートの力で、それを渡す。
ベルリンらしい、とてもハイセンスな空間の在り方と、
共存させている。

アートの力の臨界値を体験したと思います。

一家すべて虐殺の犠牲となった家族の写真。

これは、「亡命の庭」
たくさんの柱が規則正しく立っていますが、
どこにも平面はなく、傾いでいます。
亡命する、隠れて暮らす、家族が分裂させられる、
そいう不安定な体感を、表しているのだと思いました。

わたしは、演劇にもこういう力があるはずだ、と思いました。

あとから調べて知ったのですが、
この博物館をデザインした建築家は、
ダニエル・リベスキントというポーランド出身の建築家で、
家族がホロコーストの犠牲になっているそうです。
気づかなかったのですが、博物館には出入口がありません。
隣にある建物から深く長い階段を使って降りてくるしかない。

それを理解して降りて行ったわけではありませんが、
この階段の凄みは、全身で感じました。
歩いているだけで揺さぶられる建築。
それはわたしの建築という概念にはなかったものでした。
彼はこの建築で世界中に評価され、一躍有名になったとのことです。

じつはここに行こうと拘って提案してくれたのは田島さんです。
わたしは、省いてもいいかな、とちょっと思っていたので、
行くことができたことにほんとうに感謝しています。

博物館としても、現代アートとしても、
素晴らしい場所なので、
ベルリンに行って、時間が取れたらぜひおすすめしたいです。

バウハウス・デッサウ

バウハウス、と聞いて興奮するひとはある一定数いるはずです。
1919年にワイマールで設立、デッサウに移転、
最後は私立学校になってベルリンに行き、
ヒットラーからの圧力により、
1933年に解散しています。その間わずか14年。

「機械と音楽」を書くときに、
じつはバウハウスも最後まで候補としてありました。
でもヒットラーによって解散させられた、
だと、共産主義対国粋主義というわかりやすい構造に
嵌ってしまうな、と思って諦めました。

ロシア・アヴァンギャルドは志を同じくしたはずの
スターリンが圧政の主役です。
芸術家の政治への関与もずっと濃かった。
わたしの書こうとしていることにフィットする、と思いました。

バウハウスは工業デザインであるとか、
機能主義であるとか、
まさに現代の住宅の礎となった考え方を確立した場所です。
初期にはまさにイヴァンが学んだブフテマスから、
ワシリー・カンディンスキーが招かれて教鞭をとったりしていました。
東京藝術大学の美術館で行われたバウハウス展は
いま思ってもものすごく刺激的で充実した美術展でしたが、
カンディンスキーの教え子たちの、
カンディンスキーコピーの作品が大量に並んでいたのが印象的でした。
そっくりさんがたくさん並んでいても、
カンディンスキーのホンモノはすぐにわかるのが
不思議でした。
教えられる領域と、教えられない領域が、
芸術にはあるということだと思います。

さて、そんなバウハウスですが、
今回、デッサウに行くことはまったく予定に入ってませんでした。
というのも、ベルリンからの距離とかあまり調べず、
遠くて行けないと思い込んでいたからです。

あれ、と思ったのは空港からベルリン市内に向かう列車が、
デッサウ行きになっていたからです。
え。デッサウ、ってあのデッサウ?
調べてみるとわたしたちの宿泊先からなんと1時間半ほどです。
これは行くしかない、と思いました。
だって、デッサウだよ!!

というわけで喜びいさんでデッサウへと小旅行をしました。

ワイマールのほうはもうなにも残っていないそうですが、
デッサウは校舎がマルッとそのまま残っています。
そして、教授たちが住んだという家も残っているのです!!
(歓喜)

デッサウ駅です。
バウハウス・デッサウ校はここから徒歩10分ほど。
バウハウスの街はどうしたの、というくらいカッコいい住宅が多いです。

しかし、しかしですね。
運がいいとか悪いとか、人はときどき口にしますが、
バウハウスデッサウ校、修繕工事中でした。
とはいえ、見学はちゃんとできました。
すっごく活舌が悪いですが、日本語ガイドも借りられます。

いやー。それにしても。
美しいですね。
どこを撮っても、なにを撮っても絵になります。

トップ画像が超有名な階段ホール。
真ん中あたりの窓が少し太い鉄骨になっているのがわかりますか?
ここは、ギコギコ開けることができます。
開けてひとしきりジーンとしました。
わたし、バウハウスに触れてる!!

登る側から見てもカッコいい。

やっぱりねー。トイレ、撮っちゃうよね。
トイレットペーパーホルダーも水流すボタンも、扉も、
シンプルかつ超カッコいい。
わたし、執拗にトイレで写真撮りましたからね。笑。

これは、手を洗うところ。
みて。ハンドル。みて。
ドイツ機能美。極まる。
ドイツ機能美の向こう側に
機能美と一体化した田島さん。
絵になる。笑。

有名なペンダントライト。

外観。

どの角度からでも。

ぬかりなさすぎ。
(しつこい)
そしてわたしがぬかりすぎ。笑。

このあと、教授たちが住んだというマイスターハウス(官舎ですね)に行きました。
ここも修繕中で、美しい外観にシートが掛かっちゃってます。

これはかろうじてシートが掛かってなかった一棟。

こんなカンジだよん、っていう模型。

しかし中は見ることができます。
できますが。
最初に入ったところでは、チケットがないと入れない!!
と断られました。
しかもどこで買えるかなんて教えてくれない。
それがドイツ流。

で、チケット売ってる棟へ。

棟ごとに、チャイムならしてね、とか、
ノックしてね、とやり方も気まま。

しかしですねー。
なかは凄かったです。
こんなカッコいい家、落ちつかないよ、って
くらい抜かりがなさすぎます。

なんとなく撮るだけで絵になりすぎる。

カッコいい。

建築家的な気持ちを味わう田島氏。

水回りはどうしても気になる。

執拗に撮ってしまうトイレ。

どこまでいってもカッコいいしかでてきません。

まとまらない。

さすがにトイレ写真で終わるわけにもいかないので、
バウハウスのカッコよすぎるカフェで
信じられないくらい不味いパスタを食べた田島氏で
今日はお別れします。

みなさま、バウハウスデッサウに行き、
カフェでごはん食べるならバケットサンドがオススメです。
超絶、パンが美味しい。です。よ!

こんなただバウハウス大好きみたいなブログ、
読んでくれてありがとうございます。
ベルリン編、あと一日だけ続きます。

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