「機械と音楽」は進む

稽古がはじまってから、もうなんにも余裕がなかった。
飲んでもいないし(ときどきは行くけど当社比)、遊んでもいない。
仕事はたくさんある。
なのに稽古場はやたら早く行く。
わたしはB型。快楽原則に乗っ取って動いている。
いまは稽古場がいちばん楽しいんだろうね。

俳優が分厚い。
ベテランが分厚いのはもちろんわかってたけど、
20代のひとたちがちょっとおかしい。

戯曲の構造がこうなってるから、こうしようか、
戯曲の構造はこうなってるけど、
このあたり誤読してこういうモチベーションにしよう、
なんて演出がフツーにできるし、
向こうからの提案もいちいち理に適っていて、
「お。それならホンのここ、こうしよう。」
など話しながら稽古している。
わたしは体験したことないけど、
たぶん海外の稽古場はこんなカンジじゃないかな。
と思う。

人に聞くロンドンの稽古場にすごく憧れてたけど、
いま、うちの稽古場はそんなカンジだと思う。
そうそうない。わたしは体験したことがない。
そのなかでの20代が3人。

ひとりめは。

三浦透子ちゃん。若干22歳。
すっごいエンジン積んだコだな、ってのは初対面でわかったけど、
わたしとのマッチングがたぶんいい。
知的なのに野蛮って日本にはそうそういない俳優で、
稽古場の機動力だ。
最近、「天気の子」のメインボーカルをすることが発表され、
それはぜったい大ヒットするんだろうけど、
その前に演技をライブで観といたほうがいい、と言いたい。
でもわたしは透子ちゃんの歌声が好きすぎるので、
ココに、予告編はっちゃう。笑。

ふたりめは。

田中穂先くん。26歳。柿喰う客所属。
芝居を本格的に初めて3年目だそうだ。
2回くらい見て、この子はニコライに合うだろう、と思って
オファーしたけど想定以上だった。
ホンが読めて、だけど柔軟。
どんな役でも、やりきれそうな気がする。
そして大切なことだけど、コメディーセンス抜群。

さんにんめは、きなりちゃん。26歳。

舞台も演技も初心者で、初日は、ああ。これはタイヘンかもって思った。
でも、とくに演技指導みたいなことはしなくて、
フツーに演出してたらいつのまにか、
ちゃんと俳優に変身していた。
そうなるとあの得難い透明感は強みでしかない。
みんなぜったい好きになっちゃうと思うんで、
どうぞお楽しみにと言いたい。

そんな稽古場からステキ映像が届きました。


わたしが何回も見てしまうくらいカッコいいんで、
ぜひご覧ください。

そして稽古場レポートもいただきました。
若干ドラマッチックすぎますが、じっさいもこんなカンジです。
全体的に明るくて和やかな稽古場ですが、
稽古はビリビリです。

この稽古場からいいものをお届けしたいです。
がんばります!!
ベテラン勢とミドルエイジ勢についてはまた書きます!!

 

演劇の旅-イギリス編 その2

最後の一本は、迷わず決めました。
「夜中に犬に起こった奇妙な事件」
ナショナルシアターライブでも、
日本でやった上演も見逃していて、
でもどうしても見たかった作品です。

わたしは長く自閉症の子たちと関わっていました。
宿泊体験のお手伝いをするボランティアを
10年近くやっていました。
自閉症の子だけではなく、
ダウン症の子や、
知的障害の子たちが、療育といって、
自分でできることを増やしていきましょう、
という施設でのお手伝いです。
10年やったと言っても春夏秋冬、
一泊とか2泊するだけのお手伝いなので、
そこまで大層なものではありません。
それでも行けなくなってもうだいぶたちます。

なので、知的障害のある子どもが主人公のものは
どうしても観たいと思ってしまいます。
最近だと、
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」が、
高機能自閉症であるアスペルガーの少年の話でした。
あの映画もとてもいい作品でした。

自分の作品にも何回か自閉症の人が出てきたことがあります。
障害に付加価値を付けていないかと問われれば
自信がありませんが、
わたしは、彼らの世界がとても好きなんです。
とても豊かなのにヘンクツで、
いろんなことがうまくいかない。
でも彼らの時間を共に過ごして、
わたしの知らない世界の見方を
たくさん分けてもらいました。
それは演劇人としてのわたしの人生をいまも支えてくれています。

わたしが行っていた施設の子たちは、
知的に遅れもある子たちです。

遅れのある子もない子も
サヴァン症候群と言って、
天才的な能力を持っていたりもします。
(全員がもってるわけではありません)
有名なところだと「レイン・マン」の
ダスティン・ホフマンの役がそうですね。
記憶力が凄かったり、
わたしがかかわった子だと一回聞いた曲は、
ピアノで弾けちゃう子がいました。
運指はメチャクチャですが、
そしてまったく言葉がないくらい重度の自閉症でしたが、
音楽に関しては天才でした。

「レイン・マン」のチャーリーは高機能ではなくて、
カナータイプの自閉症な気もします。
自閉症も知的な遅れを伴うカナータイプの自閉症と
知的には問題ない高機能の自閉症があります。
分類に意味はありませんが、
彼らの生きづらさを理解するためには、
わたしたちが彼らの感じ方や障害の特徴を知る必要があります。
彼らはひとの感じ方がわからないという障害です。
歩み寄るのは神様に他者への想像力を持たせてもらった
わたしたちがやるべきことです。

前置きが長くなりました。
「夜中に犬に起こった奇妙な事件」は、
数学に長けた、おそらくアスペルガー症候群
と思われる、少年が主人公です。
児童文学が原作なので、
今回のために読んだのですが、
これがちょっとびっくりするくらいのいい小説でした。
電車を何度も何度も乗り過ごしながら、夢中で読みました。
構造は「アルジャーノンに花束」に似てますが、
もっとリアルで、ちょっと怖くて、
とても愛おしい物語です。

『戦火の馬』を観てから気づいたのですが、
演出が同じ、マリアンヌ・エリオットさんという女性演出家でした。
(『戦火の馬』はトム・モリスと共同演出)
あの原作を、同じ演出家が、と思うだけで心が躍ります。
朝、ストークオントレントからロンドンに戻り、
預けてあった荷物をとって劇場へと向かいます。
→なぜなら劇場からまっすぐパルセロナに行くから。
我ながらよーやるよ、と思いますが、
まあ、ちょっと体力がね。ひとより余計にあるんですよね。

その日はマチネで、
劇場に行ってビックリしたんですが、
お客さんがほぼ学生!!
おそらく学校の授業の一環なんですね。
あとはわたしたちと、
もうお仕事はリタイヤしたのかな、っていう年配のご夫婦。
なるほど~。今日はこういう観客層なのね。

で、始まったんですが、子供たち、
かなりマナーが悪いです。
ずっとお菓子とか食べてるし。
(食べていいんだ。。。)
喋ったりするし。
こちらも集中できない環境ではあるんですが、
俳優はもっとタイヘンですよね。

でもまったく途切れません。

それにしてもイギリスの子供たちは、
こんな世界最上級の舞台を授業で観て育つんですね。
そりゃあ、演劇好きになりますよね。
凄いなあ。

肝心の舞台ですが、
「戦火の馬」ほどの特別な体験ではなかったですが、
とても素晴らしかったです。
犬が殺されるオープニングから釘付け。
俳優のフィジカルでどんどんシーンが移り変わり、
まったく飽きることがありません。

そして、やはり俳優が凄い。
心の機微ってここまで伝えることができるんですね。
どの人のことも、
一瞬出てきてそれきり出てこない役も、
なにを動機として、
どうしてその行動をするのかぜんぶわかる。
障害を含めて愛しているはずの我が子を
障害ゆえにもてあます両親。
どちらもきちんと成り立たせている演技が、
素晴らしかったです。

2幕になると、クリストファーがロンドンを目指すので、
アクロバットも駆使して、
移動のシーンが繰り広げられます。

壁を垂直に走る!!
下で支える俳優たちのカッコよさたるや。
ほんとに唖然とするくらい凄い。
プロジェクションもたくさん使われる作品ですが、
あくまで人間の身体の補助線です。
演劇で見せる、演劇に不可能はない、という気概が、
ただごとではないと思います。

子供たちいちばんの心が動いたポイントは、
ホンモノのゴールデンレトリバーの子犬が出てきた瞬間な気がしますが、
ぜんたいもとても楽しんでいたと思います。
凄い拍手でした。
でも劇場で、ポテトチップスはやめたほうがいいと思うぞー。笑。

技術的にも予算的にももちろんここまでのものは作れませんが、
演劇に不可能はない、という気概だけは負けたくないな、
と思います。
そしてシンプルな俳優の力は、
すぐにでも目指さなければ。
いや。ずっと目指してはいるけれども。
もっともっと先があるな、と思います。
先があるのはステキなことです。
頑張らせていただこうと思います。

この演出家さんの作品は、
すべて観たいな、と思いました。
まずはエンジェルス・イン・アメリカをなんとか観たい。

これで9本。
ヨーロッパの演劇をここまで少し神格化していたかもしれません。
つまらないものはつまらなかったし、
好きじゃないものは好きじゃなかった。
でも、好きと言えるものもたくさんあって、
それは人生でも最上級の体験をもたらしてくれます。

ひとが、からだひとつで、世界と立ち向かう演劇は、
成功させるのが、とても難しい。
でも、演劇のおもしろいはすべてのもののなかで、
いちばんおもしろい。
わたしは、むかしからそう思ってきました。
もちろん音楽をやる人は音楽を、
映画を作るひとは映画を、
そのように思うのだと思います。
でもわたしは演劇を創るひとなので、
演劇はいちばんおもしろい。それでいい。
そう思います。

これからも東京で演劇を創りたいと思っていますが、
観たいと思ったものはどこであっても観に行けるんだ、
と分かってしまったので、
これからはもう少し積極的に、
外に飛び出し、演劇を観たいな、と思いました。

わたしたちの演劇の旅は終わりました。

この旅で得たものを、
東京の演劇に渡したい。
稽古が待ち遠しい気持ちです。

読んでくれてほんとうにありがとうございました。
機械と音楽、まもなく稽古開始です。
チケットはまだまだありますが、
じつは、稽古も始まってないのに、
15日土曜日の夜と、
16日日曜日の昼の回、
お急ぎください、となってきました。
週末観劇予定の方はお急ぎください。

予約はコチラからもできます。
お待ちしています。

携帯からの予約はこちらをクリック!

演劇の旅-イギリス編 その1-

ベルリンから移動して、
そのまま劇場というスケジュールでした。
わたしは旅先だとじつによく動きます。
カフェで休んでるヒマがあればひとつでも多く見聞したい。
自分の好奇心のとめどもなさに振り回されます。

そのわたしにフットワーク軽い選手権がもしあれば
そうとう上位に属するだろう田島さんの取り合わせなので、
フツウのひとなら倒れてるくらいのスケジュールだと思います。
ロンドンは2泊だったのですが、
その2泊で3本見て、
そのうちの一本は、
ロンドンから急行で2時間くらいの街まで見に行く、
というナゾのスケジュールでした。

だいたい6か国7都市回る旅程で、
小旅行的なものが、5つ
(チェルノブイリ・アウシュビッツ・バウハウス・カダケス
そして、今回)ついてくるって異常だと思うんですよね。

というワケで、ベルリンから着いたその足で向かったのは、
マイ・モスト・フェバリット ドラマ・ライターと言っていい、
アーサー・ミラーの「代価」という作品でした。
アーサー・ミラーはこれと、「アメリカの時計」が上演中。
そうとう迷ったのですが、
舞台写真と評判の良さに惹かれてコチラにしました。
飛行機の中で戯曲も再再読し、準備万端。
張り切って乗り込みます。

しかしですね。
主人公である警察官のひとのセリフを聞いた瞬間。
あ。これはダメかもしれない、と思いました。
凡庸な男という役ではあるんですが、
え。そのセリフってそういう意味なの?
と演出家としてどうにも納得がいきません。
妻とのやりとりも表層的。
それでさまざまな葛藤が露わになる後半を
どうやるつもりなんだろう。

この作品にはアーサー・ミラー作品としては珍しい、
トリック・スター的な役が出てきます。
主人公が売ろうとしている家具を買い取りに来る
古美術商です。

この方は、
エルキュール・ポアロをテレビで演じてきた方だそうです。
すごく期待していたんですが、
というか、この方に期待してチケットを取ったのですが、
わたしには型で演じているとしか感じられず、
ここでまたノッキング。

キーパーソンとなるお兄さんが出てきたところで幕間です。

田島さんが、
「ろばさん、これ、おもしろい?」
と探りを入れてきたので、
「後半観ないと、戯曲的にはここからだから、わからないけど。。。」
とわたしも濁し、
まあ、とりあえず二幕も観ましょう、ということになりました。

期待していた兄弟の葛藤と過去が露わになる2幕は、
お兄さんがずっとやや悲しげでセンチメンタルな
演技なので、
え。違うでしょう。そういうことじゃないハズだよ。
と違和感しかありませんでした。

葛藤と対立が、欲しいじゃない。

だって、アーサー・ミラーだよ!!

終了しまして、お客様はブラボー、ブラボーと
大喜びでしたが、
これでいいなら、ロンドンよくわからない、
という気持ちでふたりともいっぱいになっていました。

ホテルについた頃にはもうレストランも空いてない時間。
ションボリにも拍車がかかります。
しかし唯一開いていたカレー屋さんが、
超絶美味しかったので、
少しココロを持ち直しました。
あのカレー、また食べたい。

次の日は、遠征です。
stork-on-trentという
伝統陶器の工房がたくさんあるという街まで、
「戦火の馬」のツアーを見に行ったのです。
ナショナルシアターライブでももちろん人気の演目ですが、
未見です。
未見ですが、わたしたちが行った3月は、
ナショナル・シアターは『トップ・ガールズ』とか
『フォーリーズ』『タルチェフ』と
やや好みから外れるものしかやってなかったのと、
『戦火の馬』が観たすぎて、
ちょっと遠征して観られるならそれが観たい、
ということで躊躇なくチケットを取りました。

しかし、昨日の『代価』のせいで、
過剰な期待をいさめ合いながら、エクスプレスに乗り、
stork-on-trentに向かいます。
食器は好きですが、陶器はそんなに好きではないので、
工房見学等はせず、一路劇場へ。
劇場は、鉄道駅からけっこう離れています。
なのでバスで向かいます。
難易度高め。

内容は、スピルバーグの映画でチェック済。
映画はすごく面白いとわたしは思いますが、
基本としてあのままはできないでしょ、
とは思ってました。
ホテルにチェックインして劇場に向かう道すがらも、
あー、ほんと頼むよ、『戦火の馬』という
気持ちでいっぱい。
だって、ロンドンじゃないですから。
ほんの少し前までそんな街があることも知らなかった
急行で2時間。さらにはバスで20分。
しかもわざわざ日本から出かけて行っている。
そんな街でつまらない芝居を君なら観たいかい。笑。

ここです。
stork-on-trent
小さいけど風情のあるいい街です。

これが本日の劇場。
劇場は、今日の楽しみで街中が集まったのではないか、
という賑わい。
パブも客席も社交場と化し、
熱気が凄い。
みな楽しむ気満々です。

そんな中、お芝居が始まりました。

杞憂という言葉がありますが、
道々いろいろ考えていたことが
杞憂に過ぎなかったということが、
始まった瞬間にわかりました。

この演目は南アフリカのパヘットシアターが
全面的に加わっています。
最初のシーンで音楽が鳴り、
鳥たちがパーッと飛んだ瞬間に、
胸がいっぱいになりました。

そして仔馬です。
仔馬のジョーイが出てきます。
わたしたちは、4列目でした。

イギリスはチケット代はとても高いです。
ウエストエンドにかかるような演目ならいい席は
1万円軽く超えます。
人気演目ほど高くなり(三万円超えたりとか!)、
端席とセンターではまた違う、
というように細かく分類されています。
しかしどの演目もいい席を取っていました。
わたしは、高い演目ほどいい席を取るようにしています。
観たいと思ったらチケット代なんて気にしたこともありません。
月の生活費が2万円しかないときに
13,000円のチケットを取ったこともあります。
今回も片道の飛行機代より、チケット代の総額のほうが
高かったはずです。

なので4列目。
馬の仔細な動き。
俳優の細やかな演技。
すべて見える。
しかしスペクタクルな全体もちゃんと観える。
しかも年に数度の観劇をどれほどにも楽しみにしている
観客たちの集中力。

生涯の観劇になる用意はできていた、ということ
なんだと思います。

これが仔馬のジョーイがセリにかけられる冒頭です。
ジョーイが生まれ、
立った瞬間、
セリで貧しい農家に落とされる瞬間、
アルバートと出会う瞬間、
そしてジョーイがジョーイと名付けられた瞬間。

すべてが凄すぎて、泣きっぱなしです。
人形たちの使い手は鳴き声も担当しています。
効果音ではない。
すべてが人間の力です。
映画版とはストーリー変えないと成立しない、
と思っていたのですが、
ほぼ流れは同じ。
だからわからないところも一切ありませんでした。
児童文学が原作なので英語も平易です。

映画版では、ジョーイとアルバートは、
戦争で引き離されるとラストまで関係を持たないのですが、
途中で、ジョーイをかばった手に障害のある少女と
アルバートが出会うシーンなどもあり、
少女のエピソードも他のエピソードと絡んでいたりして、
わたしは演劇版のストーリーのほうが
ずっと良かったな、と思いました。
ひとつの物語としてまとまりがあります。

などと冷静なことを書いていますが、
観ているあいだのわたしは、
もうタイヘンなことになっていました。
わたしの感動は非常に煩く、カッコ悪いです。
ちなみに田島さんもそうとうカッコ悪いです。
その田島さんがやや冷静になりかつ引くくらい
わたしの感動が、
自分でも律しがたいことになっていました。

こんないい年の大人が、幕間に
「この芝居に終わってほしくない」
と泣きながら訴えるなんて我ながらどうかしてると思います。
言われたほうもどうしようもできないしね。
いくつになっても、
おもしろい芝居を観ると天にも昇る心地になり、
つまらない芝居を観ると、
全世界に対して土下座したくなり、
演劇を信じていいのだろうか、と落ち込む。
そういうところは変わりません。
こうやって人生を過ごしていくしかないんでしょうか。
厄介ですが、仕方ありません。

とは言え、終わってほしくない、と同行者に
泣いて訴えた、というのはそこそこ長い生涯でも
はじめてなので、
やはりそうとう特別な観劇体験だったんですね。

もちろんストーリーがわかりやすく感動できるストーリーだ
というのはあると思います。
いわば忠犬ハチ公の馬版ともいえる作品なので。
しかしだからこそ、嘘がひとつでもあれば、
のめりこめないし、
感動のストーリーだから泣くほどには
ピュアでもありませんし。

二幕が始まるとクライマックスにつぐ
クライマックス。

観てください。
写真なのに、人形なのに、
2頭の馬の感情が手に取るように伝わってくる。

次から次へとジョーイに襲い掛かる苦難。

ストーリーは知っているはずなのに、
手に汗を握り、心配で胸が張り裂けそうになりながら、
見入ります。
演出の手数は膨大で、
こんな表現が演劇で可能なんだ、と驚きの連続です。
でも、そんな中でも、やはりいちばんは人間のドラマ。
なんて丁寧で、なんて暖かく紡がれていることか。
俳優たちの演技は奇跡を観ているようでした。

俳優ってほんとに凄い仕事ですよね。
(素人感)

最後にもう一度セリにかけられるというエピソードは
舞台版ではありませんでした。
そのことに不満はまったくありませんが、
あと少し見ていられると思っていたら、
故郷に戻り終わってしまいました。
少し呆然としました。
ほんとうに終わってほしくなかったのです。
終幕は、物語と俳優に対しての感動と、
終わっちゃう、ああ、もう終わっちゃうと、
タイヘンなことになっていました。
ああ。あと5時間あってもよかったのに。

カーテンコールは全員がスタンディング・オベーション。
わたしももちろん立ち上がりました。
というか誰より先に立ちました。
ヨーロッパのお客さまはすぐれた演劇に惜しみない拍手を
送りますが、
この時の拍手は、やはり、特別でした。
特別な作品には特別な拍手。

カーテンコールのセンターは、
ジョーイの人形の使い手たちでした。
『戦火の馬』の主役はジョーイなのです。
センターでのカーテンコールは、
木でできた馬に魂を吹き込んだ彼らこそが、
主役なんだ、という座組からの宣言なのだと思います。
なぜこんな素晴らしい演劇ができたのか、
その秘密の一端あったように思います。

戦争を扱い、その残酷さを表出させ、
しかしそこに希望があるとしたら
人と馬のあいだに、
人と人のあいだに、
敵と味方のあいだにさえ
心が通う瞬間が生まれること、というシンプルなメッセージ。

全員が作品が自分たちより偉いと思っている。
作品のために生きないと自分たちも生きられないと知っている。

最初が映像ではなくてライブだったこと、
そして、この場所で、観ることができたこと、
感謝しかありません。

ほんとうは今日でイギリス編終わるつもりでしたが、
長くなってしまったのと、
もうひとつとっておきの一本を観ることができたので、
それは明日に譲ります。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
『戦火の馬』はおそらくまだツアー中です。
今日も誰かがどこかであの演劇を観ているんでしょうか。
そう思うだけでわたしは幸せです。
では最後の一日、いましばらくお付き合いください。

演劇の旅-ベルリン編-

ドイツ年に素晴らしい演劇をたくさん見ました。
フォルクス・ビューネの『終着駅アメリカ』。
シャウ・ビューネの『人形の家』と『火の顔』。
ベルリナー・アンサンブルの『アルトゥロ・ウイの興隆』。
どれもわたしの観劇体験の中で、
記念碑的な作品ばかりです。
とくに、カストロフの『終着駅アメリカ』は、
生涯のベストと言える一本
(ほかにも何本かあるので、ベスト1ではない。
もしくは同率1位のうちのひとつ)
叶うものならもう一回観たいです。

なので、ベルリンでの観劇をとても楽しみにしていました。
しかし、わたしは痛恨の失敗をしたのです。
ベルリン滞在は月曜日と火曜日。
やっぱりいい演目は週末に多く、
オースターマイヤーもやってないし、
観たかった演目が前後に並んでしまっている残念さもあいまり、
なかなか選ぶことができませんでした。
距離的にはやや効率悪くなるけど、
ポーランドと逆にしておけばよかったと思っても、
あとの祭りです。

とはいえ、憧れのフォルクス・ビューネはいちおう取りました。
カストロフが芸術監督ではなくなってから、
停滞の時期を迎えているとは聞いていましたが、
あの劇場でお芝居を観ないで帰るのはやっぱりできないと思ったのです。

ベルリンもロシア同様、
基本的には劇場に俳優がついているかたちです。
カストロフがいなくなって、
カストロフ時代を支えた俳優たちも、
みんな、別の劇場に移ってしまったのだとか。

今日の演目は、
「裏切り者!」というタイトルで、
イプセンの『民衆の敵』を大幅にアレンジしたものです。
温泉の水が毒性の汚水だった。
しかし、村としては起死回生の産業ともなる温泉だったため、
隠そうとする人々と、
それを糾弾しようとする医師という構造はそのままに、
現代に置き換え、
滔々たる論争劇として再構築されています。

『民衆の敵』は、一度は演出してみたい戯曲です。
今回の観劇にあたって読み返しましたが、
やっぱり面白いし、
水俣や、イタイイタイ病と同じ構図を持つ
廃液による公害隠しという題材は、
恐ろしいくらいのアクチュアリティです。
イプセンはエンターテインメント性も高いので、
わたしに向いてる、と奢ったいい方かもしれませんが、
思います。
『民衆の敵』『ちっちゃなエイヨルフ』『野鴨』
ぜんぶやってみたい。

この芝居、現地の評価はそれほど高くないみたいなんですが、
わたしはすごく面白かったです。
最後、トランプが出てきちゃうくらい、
政治性と風刺を隠そうともしないお芝居で、
なんせ論争劇なので、
ドイツ語だと内容はまったくわからないのですが、
(内容がわかったら自分の政治的ポリシーとどう折り合いを
つけるか、という問題も出てくるかもしれないので、
また評価が変わるかもですが)
どの俳優もとぼけていて、軽やかで、
新しいクリエーションにノリノリというように見受けられ、
わたしはかなり楽しく観ました。
ドイツ語のレビューサイトによると、
とにもかくにもフォルクスビューネがまた
新作をクリエーションできているのがよいことと
書いてありましたね。
→翻訳ソフトつかってるので、ほんとにだいたいですが。
そんなに不遇な時代だったんですね。
どうやら新しい芸術監督に変わり、
新しいクリエーションを始めたところらしいです。
攻めてるフォルクスビューネが戻ってきた、
という理解でいいのかな、という観劇でした。

そして、こんな、
日本であれば若いひとでもワケわかんない、と言いそうな芝居を
国がお金を出して作っていて、
あらゆる世代の人がいて、
いろんなシーンで大喜び。最後は大きな拍手でした。

次の日は、
ほんとはシャウビューネに行きたかったのですが、
完売および信頼できる筋から
その日の演目はオススメできない、という情報を得まして、
最近ベルリンで評価が高いという芸術監督がいる、
マキシム・ゴーリキー劇場で、
「サロメ」を観ました。
「サロメ」がそんなに好きではないうえに、
ポスターが怖すぎて、

このサロメ男性です。
とても評価の高い俳優らしいです。
最後まで迷ったのですが、
ベルリナー・アンサンブルもそんなに惹かれる演目で
なかったのもあってコチラにしてみました。

サロメとは言え、そこはベルリン演劇。
超解体。再構成されています。
サロメ役の俳優さんが、
マツコ・デラックスみたいなひとで、
装置もキッチュ。

最初、幕があいて、
コロスが登場して、
→なぜかフルヌード。ドイツ演劇ではいろんな場合に
どういうわけかフルヌード。

あとで知ったのですが、
移民の俳優もたくさん受け入れてクリエーションしているそうで、
ドイツ語がは母国語ではない俳優もたくさん出演しています。
なので語り手役みたいな方は英語でした。

このコロスたちが面白く、
楽しく拝見していたのですが、
中幕があいて、さあこれから、という巨大装置が出てきたあたりから、
芝居のコンテキストをまったく見失ってしまいました。
英語字幕は出てるのですが、
ちょっと遠くて文字が小さかったので、まったく読めず、
もちろんドイツ語はわからない。
それがもちろんいちばん大きいのですが、
サロメがドラァグ・クイーンである意味が、
どうしてもわからなかったというのがわたしの敗因な気がします。
なんとなく1アイディアでそこまで深くないのでは・・・
という気がしてしまったのですが、
どなたかわたしに解釈教えてくださる方がいたら、
ぜひご教示ください、と言いたいです。

すっごいインパクトの装置ですよね。
そして、とても巧くておもしろい俳優さんなんですが、
わたしにはわからなかった。
言語の壁を超えることができませんでした。
ヨカナーンはあれ、いつかな、くらいのタイミングで
首を切られ、
サロメのクライマックスのダンスもないまま、終焉でした。
あの巨漢が踊りまくるクライマックスを
期待してしまっていたので、
あ。終わっちゃった。
というのが、正直な感想です。
しかし会場は熱狂的な拍手。
こちらも老若男女、ありとあらゆる世代です。
それがフルヌードの前衛劇に、
大熱狂。
その演劇シーン自体が衝撃的です。

やっぱりドイツ演劇は言葉がわかるか、
字幕がないともったいないことになってしまいますね。
ものすごく解体されているから。
自分の教養のなさが残念なドイツ2演目でした。

明日は観劇のメインコンテンツであるロンドンへと
向かいます!
書くのが楽しみ。そのくらいエキサイティングな
体験でした。
あんなに楽しんだのに、
書くことでまた楽しめる。
最高です。
あと少しだけお付き合いお願いいたします!

演劇の旅-ロシア編-

今回の旅では、たくさん演劇を見ました。
朝から動ける状態にしておきたかったので、
都市間はナイトフライトを選択した場合も多いので、
連日とはいきませんでしたが、それでも、
9本の演劇を観ることができました。

言葉がわからないので、
(英語であっても初見でわかるほど堪能じゃないし
ましてやロシア語やドイツ語はまったくわからない)
今回に関しては、
内容を知ってるもの、事前に予習できるものに限りました。
ヨーロッパでは劇場のサイトで席を選んで決済し、
紙でチケットを持っていけばよいシステムになっていて、
あいだに手配する業者を入れなくても容易に購入が可能です。
シンプル。これなら観劇文化も育ちやすいかも。

感想ですが、飛行機代をかけてまで観てますから、
辛辣なものも含まれます。
日本でも厳しい感想を持つことはよくありますが、
基本としてはSNSに感想は書きません。
人にどう思われるとかはどうでもいいんですけど、
わたしも作り手なので、
こういうところに書くくらいなら対面で言いますし、
対面で言えない相手なら、書きません。

最初はロシアです。
アヴァンギャルドは演劇から始まったといっても過言ではありません。
ヴェスニンなどの建築家たちも、
舞台美術を手掛けていたし、
マヤコフスキーもたくさんの戯曲を書いています。
アヴァンギャルドを代表する演出家メイエルホリドは、
スタニフラフスキーが演出した初演のかもめで、
コースチャーを演じています。

スタニフラフスキーシステムのお膝元ですから、
徹底したテキスト解析の元に演じられるという俳優たちの演技を
思う存分観たいとずっと思っていました。
昔、マールイ劇場が来日したときに見た「かもめ」は
衝撃的でしたから。

ただロシアは(ドイツも)レパートリーシステムと言って
日替わりで演目が変わります。
観たい演目が必ずしも行く日にやっているとは限りません。
日程を決めてしまってから演目を決めていったので、
何度も何度もいろんな劇場のサイトを行ったり来たりして、
演目を決めました。
ああ。この演目観たかったけど、日程が合わない、みたいなのが
たくさんありました。
出発日を操作するくらいはできたので、
もう少し考えて日を決めればよかった。

初日。
モスクワに着いたその足で、
チェーホフモスクワ芸術座の「三人姉妹」に向かいました。
ものすごく期待していたのですが、
始まった瞬間にあれ、これ好きじゃないヤツかも、
と思いました。

これは幕間。
レパートリーなので美術は基本としては簡素。

そして、肝心の中身はというと。

まず、演出の方針として、
ソファが客席に対して直角に置かれてたりするので、
しかもそのソファに並んでひとが座るので、
奥側に俳優が座ると姿が見えません。
見えなくてもいいという姿勢で演劇が行われています。

上下にカメラが設置されてて、
そのカメラが表情を捉え、
でっかくスクリーンに映し出されます。
俳優はマイクつけてて声は張りませんので、
テレビを見ているような感覚で舞台を観るかんじになります。
基本としては現代に置き換えられている(服装とか)
→テキストはたぶん再構成はされてない。

こんなカンジです。
この状態がずっとなので、人が舞台にいることも忘れてしまいます。
わたしは俳優が観たいので、
舞台の出来不出来以前に、
この状態に疲れ果ててしまいました。

そして、その演技が沈鬱そのもの。
とにかく全員がずーっと沈鬱。
「生きていかなくちゃね。」というあの有名なセリフを
いつ言ったのか気づかないくらいでした。

なぜなら生きていく気がそもそも全員ないから。

三人姉妹、驚くくらい綺麗でしたけど。
演技もたぶん、上手だったけど。
わたしの観たい演劇ではなかったな、と思います。
わたしはチェーホフに関しては、
ああ、こうやれば成立するんだ、というひとつの解を
求めていたのもあり、
チェーホフに関しておそらく熟しすぎたロシアで、
新しい解として提出された、
いわば応用編のチェーホフに馴染めなかった、
とも言えます。
とは言えいろいろ考えてみたものの、
あんな風にニヒリズムには徹底されないと思うんだけど。

翌日は、ゴーリキーモスクワ芸術座で、
(というワケでモスクワ芸術座はふたつあるので気をつけてね)
ハムレットを観ました。
ここがいちばん大きな劇場でした。
しかしですね。
ちょっと残念なくらいガッカリしてしまったんでした。
ワーッと群衆が出てくるトップシーンは、
おお。これはスペクタクルなハムレットが観られるの??
と期待しましたが、
たしかにスペクタクルではあるんですが、

ホレーショーの第一声で、
あれ、このセリフ、ホレーショーのハズだよね?
と二度見してしまうくらい、
なにを伝えたいのかがわからない。
そもそもハムレットと友人だと気づかない。

そしてハムレット。
ハムレットの浅さが致命的です。
戯曲を知ってる演目だと、
言葉がわからない分、
解釈とかダイレクトに伝わってくるもんですね。
この人がハムレットではとても見続けられない、
と思いました。

王様の亡霊は、巨人兵みたいな殺陣やっているし。

オフィーリアもこの人が狂ってもどうでもいい、
みたいなカンジだったし。

とにかくすべてが好みではありませんでした。

こんなカンジでビジュアルはカッコいいんですが。

インターミッションになった時点で、
田島さんが、
とうぜん帰りますよね、という強い意志を見せていたので、
そしてわたしももう限界だったので、

・・・帰りました。

ここまで2連敗。
モスクワの演劇に超期待していただけに敗北感も大きいです。

そしてモスクワ最終日。
マヤコフスキー劇場に、
「オーセージ郡」というお芝居を見に行きました。
これは正直言っていちばん期待していなかったお芝居です。
でも、月曜日でそんなにいい演目、
ほかにかかってなかったし、
これは「八月の家族たち」というタイトルで
映画になっているので予習できるし、
という理由で選択しました。

映画は、最初少しタイクツするけど、
最後まで見るとけっこう面白い映画でした。
家族のちょっとイヤな話というか、
日本の小劇場っぽい作品ですね。
俳優もメリル・ストリープと
ジュリア・ロバーツが主軸で超よかったし。
それでもそこまで期待してなかった。

これが。

いやー。たった2本でモスクワ演劇つまらないの?
などと疑って申し訳なかった、
とひれ伏すくらい素晴らしい作品でした。

映画ではメリル・ストリープが演じたお母さん役が
出てきた瞬間から釘付け。

これがトップシーン。
思わず座りなおしました。

映画では、
ジュリア・ロバーツが演じた長女の役の女優さんが、
「マム」と呼びかける声で、
母と子の愛憎がぜんぶわかる。
言葉がわからないなんてまったく忘れてのめりこみました。
てゆうか、素晴らしいと、
なぜか記憶のなかで日本語になってる。
ロシア語の演劇を観た、という感覚ではありません。
優れた映画もそうですよね。
心にダイレクトにセリフが届いているんだと思います。

これが映画でもとても印象的な食事のシーン。

とにかく俳優全員素晴らしい。
レベルが高すぎる。
解釈が深い。
リアリズムという言葉のホントの意味を
叩きつけられるような演劇体験でした。

わたしと田島さんは、
性格はまったく違うけど、
演劇とか映画に関しては驚くほどズレがないんです。

幕間では、昨日とはうって変わって
わかりやすく興奮している田島さん。

お互い感動したポイントをガーガー話しているあいだに、
2幕が始まりましたが、
映画ではややタイクツだった序盤が
あれだけよかったわけですから、
後半なんてもう。

たまらない。

映画ではカンバーバッチが演じた、
ちょっとボーダー気味の息子の愛しさ。
三女と図らずも近親相関になってしまうのですが、
うだるようなしがらみだらけの田舎町で、
このふたりの関係の純粋さを一瞬で好きになってしまうので、
じつはほんとの兄妹(姉弟かも)とわかる終幕が
あまりにも残酷で切ない。

この人たちでいろんな芝居を観たい。
「ガラスの動物園」も観たいし、
「欲望という名の電車」も観たい。
代表作というゴーゴリの「結婚」も観たかったです。

終わったあとも、
こんなことなら毎日マヤコフスキー劇場に通えばよかった、
と盛り上がりました。
いい芝居を観たあとは、ほんとに天にも昇る心地です。
こういう思いをしてもらえるように精進しなくては。

そして、移動したサンクトペテルブルグ。
ほんとは、ベニスの商人を現代風にアレンジした
ストレートプレイが観たかったんですが、
気づいたら完売していて、
バレエもいい演目がかかっていなかったので、
ミハエロフスキー劇場で、
「イオランタ」というチャイコフスキーのオペラを観ました。
歌唱はさすがに凄かったですが、
なにを観てるんだろう、と途中でよくわからなくなるほど、
プロジェクション・マッピングが多用されてました。
映像ショーに歌唱がついてくるかんじというか。

ロシア、映像使いすぎではないでしょうか。
もっと人の力で勝負してほしい。
俳優、みんな力があるんですから。
そして、イオランタが盲目というのがとても大切なポイントなのに、
少女時代のイオランタは盲目ですが、
精神を現したと思われる現在のイオランタは見えているので、
それは、あまり効果的ではない、と思いました。

というわけで、
ロシア演劇がすべて素晴らしいということではない、
ということと、
でも素晴らしいものは、
生涯のベスト10を揺るがす程度には凄い、
そしてたぶんそれクラスのものが、
フツーにたくさん上演されている。
というふたつのことがわかった体験でした。

注)画像は幕間以外すべて劇場サイトからお借りしました。

あと、うらやましいくらい劇場という文化が市民に根付いています。
有名な劇場ばかりということはありますが、
どの劇場も満席。
始まる前は劇場のパブで楽しみ、
幕間も楽しみ、
終演後もまた楽しむ。
老若男女、すごくカジュアルに演劇を楽しんでいます。
ロシアはチケット代もとても安いです。
これはヨーロッパを旅しているあいだじゅう、
敗北感といっていい感情を感じ続けたことです。
文化の厚み。演劇が愛されているということ。

ベルリン編に続きます。