上演の可否について考える日々

去年の今頃はヨーロッパにいたのだ。
3月15日に出発して、4月2日に帰ってきた。
同じスケジュールであればどんなに悔しくても
止めていただろうけど、
(そもそも建築を観たり、演劇を観たりしたかった旅なので
それが止まった状況では意味がない)
例えば2月とかなら出発してしまっていたかもしれない。

そして、公演の発表がされてなかったので、
あまり書いてなかったけど、
じつは4月にもロンドンに行った。
ナショナル・シアターの「All My Sons」を観に。

旅行の日程をすべて決めてから、
4月に「All My Sons」がオープンすると知って
これは観なくては、とエアを取った。
もちろん今年それをやることが決まっていたからだ。
行きたい行きたいと思い続けていたヨーロッパに、
ひと月に2回行くことになるなんて、
夢みたいだった。
その時見たハロルド・ピンターの「背信」
が凄かった話も近々書きます。

どこの劇場に行っても、
始まる前も幕間も終わったあとも、
そこは一大社交場になっていて、
感想を語り、近況を語り、
老いも若きもたくさんのひとが劇場にいた。

今、その場所が奪われている。

わたしたちの国もどんどん中止が決まっている。
お金の問題はもちろん大きい。
少なくないカンパニーが今後の公演計画を
考え直さなければいけないことにもなる。

しかし、多くの演劇人にとって、
それがいちばん辛いことではないと思う。
いや、経済は、心を病むくらいの
重要コンテンツではあるけれど。

もっと大きな問題は、その準備につかった、
稽古に使った、
わたしたち演劇人の、
心がひき殺されるような事態なんだということだ。

そして、お客さまにとっても同じことだ。
たのしみにしていた時間。
それがあるから頑張れる時間。

わたしたち公演の6月はまだわからない時期だ。
3月中旬に閉じたロンドンやニューヨークの劇場は、
いつまで閉まるのか。
有効な薬は確認されるのか。
集団免疫とやらはどうなるのか、
どう調べるのか。
未知数が多すぎる。

とは言え、楽観だけでは進められない。
お客さまに完全に安心して、と言えるのは、
ずいぶん先になってしまいそうだけど、
リスクと社会の健全運営のバランスを考えながら、
ここから一年を進めていく必要がある。
医療が崩壊しないことは最優先で、
そのなかでいつ劇場は再開できるのか。
世界的な情勢を見ないといけないし、
行政からの指示も無視できないし、
するつもりもない。
だからと言って、
映画館や劇場や美術館や図書館を、
スポーツを、ライブを、
永遠に閉じ込めるのはあらゆる面でいいことじゃない。

我が国には、そのための機能的な考え方がない。
それがいちばんの不安材料だ。

それでもわたしは、
見切り発車で稽古をせざるえなくなり、
なのにこの状況となって、
良心に従って中止を決めた仲間たちよりは、
すこし先のことを、冷静に思考する時間があるだけ
マシなんだと思う。

いまは、
6月には世界中の劇場が再開できるという希望をもって
動いていますが、
リアルな判断ももちろん同時に考えています。
新型コロナ対策のガイドラインを刷新しつつ、
希望的観測だけでは動かないことをお約束します。
そのうえで、6月という季節、あと2か月半後に、
演劇を、映画を観ることできる世界になってたら、
という希望は捨てません。
それはきっと生きる力になるよね。
だから経済的なことだけ考えて簡単にやめたりもしません。
かと言って感染リスクが高いまま、では楽しめないから。
最後まで可能性と、現実の兼ね合いを考えて参ります。
皆さまもまずは自分の体と心をお守りください。

蝙蝠傘と南瓜

劇団銅鑼「蝙蝠傘と南瓜」が幕を開けました。
小さい劇場で、換気もよく、
守るために丁寧な対策をしてくださっていますが、
ご存知のようにウィルスは目に見えません。
完璧はありえないし、楽観だと思います。
そのなかで開けた舞台。
幅広いかたに楽しんでいただける、
心がほんの少しホッとするようなお芝居を作りたい、
作れれば、と力を尽くしました。

と、ここまで書いて、そのあと、書ききれずにいました。

そしてご存知のように、東京都の自粛要請により
金曜日、とつぜんの千秋楽となりました。
残り4ステージを残して。

わたしは、前回の自粛のときは
世界の状況もわかっていませんでしたし、
やはりどうして演劇だけが、という思いも強くありましたが、
今回は、病院等での大規模感染もあるなか、
演劇も公共のいちぶと思うと、
カンパニーの判断は正しかったと思っています。
中止と中止のはざまのなか、少なくないお客さまに
見ていただけたことは感謝しかありません。
しかし、同時に出演者やお客さまのその後を
あと1か月くらいは気にしていかなければならない、
枷を抱えていることも自覚しています。

わたしたちも公演を抱えています。
6月。それはまだ未知の季節です。
その時期まですべての演劇公演、そして、
経済活動を自粛しなければならない状況というのは、
自分のためということではなく、
なんとしても避けなければいけない事態だと思うと同時に
楽観せず、判断をしていきたいと思います。

ありがとうございました。
そして少しこのブログでもこの状況に対しての発信を
していこうと考えております。
時々覗いていただければ幸いです。

日本アカデミー賞

昨日ありました日本アカデミー賞で、
優秀脚本賞をいただいていて、
最優秀は逃しましたが、
最優秀作品賞をいただきました。
シム・ウンギョンさんが最優秀主演女優賞、
松坂桃李さんが最優秀主演男優賞でした。
個人賞よりなにより作品賞はこの映画に関わった
全てのひとのためのもので、
そういう意味でほんとうに嬉しく思います。

映画の世界は初めてでしたが、
それにしても異例というほどたいへんな現場で、
むしろ知らなかったから最後まで頑張れた、
とも言えると思います。
脚本に名前を連ねている高石さんには、
プロット立てや、
エンターテインメントへと変えていく
プロセスを助けていただき、
彼がいなかったらかたちにならなかったと思います。
感謝しかありません。

そして藤井監督は、社会派映画というもののひとつの
概念を壊したと思います。
スピーディなカット、
飽きさせない編集、
スタイリッシュなその在り方は、
社会派映画のひとつのあたらしいかたちを
創ったのではないでしょうか。

映画の脚本は、名前を連ねたひと以外にも
たくさんのひとの意見や思惑をひとつの物語へと、
昇華していかなければなりません。
そんななかで、
わたしひとりではぜったいにこんなふうには書けなかった、
というところと
わたしひとりならぜったいにこうは書かなかった、
というところが混在し、
前者を思うと脚本家です、とは胸も張れず、
後者を思うと、これを自分の作品ですと言えないな、
という気持ちも多少はあり、
なので、最優秀作品賞というかたちが、
いちばんいちばん嬉しいかたちの最高級でした。

表現しすぎない品のよさで
主演俳優はかくあるべきだな、と思わせてくれた
松坂桃李さんはとてもとても素晴らしかったです。
彼がいたことで全国区の映画になった。
感謝は絶えず、ますますのご活躍を祈ります。
わたしごときが祈らずとも、
その勇敢な作品選びが象徴するように、
日本を代表する俳優になることと思います。

そしてシム・ウンギョン。
いつもウンギョンと呼んでいるので、ここでも
ウンギョンと呼ばせてください。
ラフ編集のようなものを見せてもらったときに、
彼女のファーストアップで胸がいっぱいになりました。
わたしは裏設定もぜんぶ知っていて見ていますから、
父を亡くしていることの傷
新聞記者という仕事に対する思い、
頑固さ、融通のきかなさ、
前しかむいていない意思の強さ、
それをこんなひとつのカットだけで表現できるんだ、
と驚いたからです。

今年の映画だと「蜜蜂と遠雷」がほんとうにわたしは好きで、
ファーストカットでこれは邦画を超えたな、
と思いましたが、
ウンギョンのファーストカットは、
いままでの邦画を圧倒的に超えてくるものだ、
とわたしは思いました。
俳優が演じるということの意味を教えてくれた。
韓国の俳優はほんとうに凄い。
ふだんはシャイで謙虚で、
いたずらな男の子みたいなウンギョン。
彼女が日本で演じたいと思ってくれているあいだに、
もっともっといい映画にたくさん出てほしいです。

昨日のアカデミー賞は、無観客で行われました。
受賞者であっても熱発があれば入ることができません。
その状態こそが時勢です。
ひとつの流行病が流行っている、
その結果ということだけではないと思います。

そんななかで行われた日本アカデミー賞で、
この映画が賞を獲った意味は大きいと思います。
その映画を牽引したのは河村プロデャーサーの志しです。
欠点もある映画とも思いますし、
河村ブロデューサーはいつも全力で走るトラックのようなひとで、
まわりはほんとうにタイヘンなのですが、
志しをぶらさないことの大切さを学ばせていただきました。

たくさんの方から過分なお祝いの言葉をいただきました。
このブログで感謝に変えさせてください。
ほんとうにありがとうございました。

流山児★事務所「コタン虐殺」

2度目の流山児★事務所の稽古が始まりました。
タイトルが「コタン虐殺」と言います。
わたしの作品としては扇情的なタイトルなので、
すこしですが、物議を醸しているみたいです。

コタンはアイヌの言葉で集落という意味です。

物議のひとつめは、わたしがヘイト的な意味で、
コタンを虐殺せよ、
という意味でタイトルをつけたというものです。
そのように思われる可能性は考えもしなかったのですが、
じっさいにそういう意味ですか?と聞かれたので、
そう思う方がいるということですよね。
江戸時代から明治にかけて、
最初は函館のあたりだけであった和人の土地が拡大され、
アイヌ民族を制圧していった歴史があります。
そのとき、
もともとあったアイヌの生活そのものがはく奪されました。
さらには、そんな歴史的事実はなかった、という人もいて、
二重三重の意味で、
物心両面の略奪が行われているとわたしは考えています。
そのすべての象徴としてつけたタイトルですが、
わたしのヘイトの結果と受け止める方も在るということに
思い至らなかった、というのが正直なところです。

ふたつめ。
取材させていただいたアイヌの方から
もう差別という文脈でアイヌを語らないでほしい、
という言葉を幾度かお聞きしました。
なのでタイトルに込めた意味を理解したうえで、
抵抗を感じるという方も一定数いらっしゃるのかな、とも考えます。

さらには、今回出ている情報が少なく、
白老町で実際にあった事件を扱った演劇ということだけが
かろうじてわかるかたちになっており、
わたしがいつもチラシに載せるような作品意図についての
言葉がありません。
白老の事件は、ポロトコタンという
アイヌ博物館を含む文化施設に対して、
アイヌ文化を観光地化することに反対した左翼の青年が
起こした事件です。
それ自体も解せない話なのですが、
その青年が最初「自分はアイヌだ。」
と名乗っていたというので、さらに複雑なものとなります。
江戸から明治にかけての搾取の歴史とは
位相が違う話なのですが、
わたしはとても違和感を感じました。
その違和感の理由を演劇というかたちで考えたいと思いました。
しかし、
ポロトコタンは来年、民族共生象徴空間ウポポイとして
生まれ変わる予定で、
そんななか、あまりポジティブではない事件を持ち出して、
演劇にするということ自体に抵抗がある方もいるのだと思います。

わたしは東北出身なので、アイヌ史であるとか、
差別の歴史は、もちろん知っていましたし、
「ある」と思って育ちました。
わたしのふるさとには、
アイヌ語由来とされる地名もたくさんあります。
白老のポロトコタンは、中学の修学旅行で行きました。
そのとき、民族博物館に行き、
豊かな文化に夢中になると同時に、
こうして自分たちの文化を見せるという生き方は、
もしかして、なにかしらの歴史の結果なのではないか、
そんなふうに思い、
知らない子供なりに、
ここで呑気にこれを観ていていいのかな、という
感覚があり、家に帰って調べたりもしました。

しかし、若い方のなかには、
差別の歴史があったことを知らない方もたくさんいるようです。
ゴールデンカムイに夢中になっている層でさえ、
現在も生きるアイヌの方たちがいて、
遺骨を勝手に墓から奪われて研究材料にされ、
最近になってようやく戻ってきた、というようなことは、
知らないひともいると思います。
演劇なのでそういった事実は描きますし、
描いたほうがいいと思いましたが、
最終的に描きたいのは、
わたしたちが尊重しあうということのほんとうの意味です。
それはこの演劇だけで答えがでるようなものではありませんし、
自分がわかっていますなどというつもりもありません。
けれど、
「かわいそうなアイヌ」という文脈で語って、
それができるとはさすがに思えません。

稽古場は、毎日、毎日、俳優たちがさまざまな資料を持ち込み、
その世界観の豊かさに驚き、歴史的事実に憤りながら
演劇作りをしています。
この前のめりさが、流山児事務所という劇団の魅力です。
一生懸命やるのはとうぜんとして、
取材でお会いしたアイヌの方たちから言われた、
アイヌは素晴らしいというような文脈だけで作らないでくれ、
という言葉も胸に刻みつつ、作っていきます。

そして、わたしはいつも思うのですが、
この演劇で問われているのは、
アイヌ文化やアイヌの人々ではなくて、
創っているわたしの人生です。
わたしのものの見方が貧しいと、
描く対象が貧しくなってしまう。
それは引き受けて作っていきます。

そのうえで、
アイヌという先住民、
そして先住民になってしまったのは、
わたしたち日本人の北海道の植民地化だという歴史や、
豊かで美しい文化はただそこにに在る。
在るものなのだということを、
この演劇が穢すことないよう努めていきたいと思います。

いろんなご意見はあると思いますし、
この文章に対してもいろいろ思うかもしれません。
創作で応えるしかないのが演劇家なので、
これ以上は作品に託したいと思います。

末筆ですが、大切に思う仲間が、
体調で出演が叶わなくなりました。
いろいろなことがありますが、
前を向きます。
劇場でお会い出来たら嬉しいです。

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ホテル・ムンバイ

今年もたくさん映画見た。
家の近所のシネコンが歩いていけるので、
レイトショーやってるしで、
大作系は主にそこで。
レイトショーは安いのでちょっと高級なホームシアター感覚。
稽古後でも行けるタイムスケジュールなのもありがたいですね。

わざわざ出かけて行くのは単館系です。
あいかわらずドキュメンタリ多しです。

今年は、
「僕達は希望という名の電車に乗った」と
「存在のない子供たち」
の2本が衝撃的で、
加えて邦画の「蜜蜂と遠雷」がとてもよくて、
ベスト3決まりだな、と思ってたら年末にキタ。

「ホテル・ムンバイ」

監督は、これが長編一本目というオーストラリアの監督。
アンソニー・マラスさん。
テロとそこからの生還というハードな題材ながら、
奇跡の実話、とあるので、それ系くらいのつもりでいくと、
わたしみたいな怖がりは、
しょうじき死にます。
わたしたちは劇場で、リアルなテロに遭遇するハメになるのです。

怖がりなのに、
こういう映画はどうしても行ってしまうわたしなので、
そこそこ数は見ていると思うんですが、
そのなかでもリアリティと緊迫感が、
群を抜いていました。
しかし、ファーストカットからすべてが素晴らしいので、
怖いけど出られない、
これは傑作だからぜったい最後まで観なくちゃいけない、
悲壮な決意でがんばって、
ほんとにがんばって最後まで観ました。
エンドロールでは足が震え、息が切れてました。

ISテロを描いたものはドキュメンタリなんかも観てますが、
なぜそれが起こるのか、
なかなか腑に落ちないところはありますよね。
もちろん無差別テロは許されざることなんですが、
彼らの憎悪の源となった米ソの冷戦、
グローバル経済の歪み、
さらには石油の利権、
そこに相いれない宗教の問題が絡み合います。
常に世界の矛盾の吹き溜まりにされてきた中東のストレスが、
噴き出したのが、イスラム国。いわゆるISです。
もちろんIS自体は歪んだ思想、
イスラム教の間違った引用ではあるんですが、
トップシーンから、その大きな枠組みがしっかり提示され、
物語が始まります。
もうすでに悪の根源がどこにあるのかもわからない状態のなか、
テロの火ぶたは切って落とされる。

テロが始まる瞬間は見事です。
たくさんの人が集まる駅で、
とても滑らかにテロは開始する。
いつわたしたちが、この場所に立ち会うことになっても
おかしくない。
それを一瞬でわからせてくれる。

そして。

これほど緊迫感のある内容なのに、
後味としては、ヒューマニスティックで
あたたかな気持ちが残る、というのが、
この映画の神がかっているところだと思います。
しかもそれはカンタンに成し遂げられているのではなく、
ちゃんと哲学に乗っ取った脚本が、
ご都合主義にならないギリギリの断片で
その瞬間を切り取り、
そのレイヤーを重ねていくことで成し遂げられています。

俳優がすべて素晴らしく、
実行犯のテロリストにまで目配りがきき、
それに俳優も応えている。
究極の状況のなかで、
たくさんの人々の愛と努力が丁寧に描かれ、
それがこの得難い後味となって結実しています。

監督の言葉。
「互いを受け入れること、教育、様々な文化を理解することが、安全な世界を築いていくために不可欠だと証明した。この映画が、それらすべてをうまく伝えていることを願っている」
(アンソニー・マラス監督談)

この監督の精神が徹底され、
それは、わたしの文化、わたしの精神も
大切にしてもらっているという感覚を見ている間中、
伝え続けてくれます。

ひととひとの断絶の最北に位置するとも言えるテロ。
その唯一の解決方法。

同じ場所に存在させた奇跡のような映画でした。