モスクワを歩く-アヴァンギャルド建築 コンスタンチン・メーリニコフ編-

まずわたしが訪ねた構成主義建築とはなにか。
ロシア・アヴァンギャルドは、
共産主義思想を具現化するということをテーマに進められた
芸術運動で、詩、小説、演劇、音楽、絵画、立体と多岐に渡る。
象徴主義的なところから始まり、意味性の開放まで一気に進むので、
なかなか総体を理解するのは骨が折れる。
そのなかで構成主義建築というのは、
表面的なことだけ言えば、幾何学的なものの構成によって、
かたち作られた建築である。
これをもっと深く説明しようとすると、なかなかこの旅行記のなかでは
難しいので、省くけれど、
レリーフ、彫刻など、美しくデコラティブなものが是とされた既存の建築から脱し、
同じかたちを連続させたり、
幾何学の効率的な組み合わせで、
まったく新しい建築の概念を結果として生み出した
という意味で画期的だ。

ホテルはメーリニコフ自邸に近い、という理由で決めた。
メーリニコフは、イヴァンと並んで評価され、
イヴァン同様に名誉をはく奪された建築家だが、
ひとつ異なるところは、たくさんの建築を実際に建てていることだ。
そのなかでもとりわけ有名なのが共産主義国家だというのに
モスクワの中心地に建てたこの自邸である。
アヴァンギャルド建築は、現在も商用施設として使われていたり、
廃墟化しているところもあるが、
ここだけは美術館の一部として保存され公開されている。

じつは応募制で一日5人までが見学できるのだけれど、
開始と同時にチャレンジしたにも関わらず定員が埋まってしまい、
思い余って、
わたしは劇作家でイヴァン・レオニドフの演劇を書くからぜひ見せてほしい、
とメールを書いたところ、
「いいですよ。」と見学が許可された。

これが有名な外観。
写真集を持っていて、それを参考にして、
「外から見ても美しいが、中から見たほうがもっと美しい。
なにしろ自分のために建てた家だからね。」
というセリフを書いた。
しかし実際観てみると外観さえ思っていたのの何倍も美しかった。

中は、これはもう圧倒的だった。
トップの画像が、メインとなるアトリエだ。
以下のふたつは食堂とリビング。
リビングの窓が開けはなたれ、
メーリニコフ婦人が椅子でくつろぐ姿を外から撮った写真があるが、
これは圧倒的なセレブ感である。
共産主義国家でその地位を奪われた理由がこの自宅だけで
芯からわかる。
しかし皮肉なことに、この自宅故に死後もその仕事は後世に
語り継がれることになる。

このあといろんな場所で感心することになるのだけど、
こういうガイドツアーはどれも驚くほど丁寧だ。
今回の自邸ツアーも信じられないくらい丁寧だった。
でもロシア語なのでまったく、なにもわからなかった。
ガイドの方は、言葉もわからないのになんで来たの、
というカンジで少々怒っていた。
ごめんなさい。でもどうしても中に入らなくてはいけなかったんです。
だけど言葉がわからないから、たくさんの宝石を手から零した。
それもわかっています。

メーリニコフの建築は、どの建物も比較的綺麗に残っている。
塗りなおされ、修復され、現役の建物として使用されている場合が多い。

これは有名なルサコフクラブ。
革命後のソヴィエトは、労働者にも文化を、ということで、
労働者クラブがたくさん作られた。
ここで演劇が上演されたり、さまざまなイベントが開催された。

労働者クラブを作るというコンセプトと
アヴァンギャルド建築はおそらく相性がよかったのだろう。
現存するほとんどのアヴァンギャルド建築が、
元労働者クラブである。
ここは、いまはR18指定の劇場になっていた。
飛び出てる部分が客席であるはずだ。
でもロシアではそんなに過激じゃなくてもR指定がついているので、
ここでどんな演劇が行われているかはわからない。

これはルサコフクラブの近くにある靴工場のクラブ。

これがカウチェク工場付属クラブ。

これがスボボダ・クラブ。
ここまですべて労働者クラブである。

そしてこれが、メーリニコフの初期の作品。
バス・ガレージ。

少しまえまでロシア現代美術館のガレージという
すごく尖った現代アートを置く美術館だったらしいんだけど、
いまはロシアのユダヤ人迫害の歴史を展示する美術館になっていました。
ヨーロッパは大から小まで街のあちことに美術館とか博物館があります。

メーリニコフは、イヴァンとほぼ同時期1930年代半ばに
建築家としての地位をはく奪され
1972年に名誉回復されますが、1974年に亡くなっています。
若いころの、建築中の家の前で妻と撮影した、
人生の絶頂というような浮かれた写真と、
死の直前、自宅で撮られた孤独の粋を集めたような写真のコントラストが、
この物語の根底には流れています。

キーパーソンともいうべき役を文学座の浅野雅博さんが演じてくれます。

さて。初日から膨大です。
この旅、まだまだ続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「機械と音楽」への旅

2週間と3日。

滞在型制作を除けばいちばん長い期間の旅をした。
「機械と音楽」は、2005年が初演、2008年に再演されている。
その時は、まだまだ人生に余裕がない時期で、
つまり場所への旅をせずに脚本を書き、そして再演した。
それがずっと棘のように心に刺さっていた。

再再演を決めたのは、
いろいろな理由があるけど、なにより田島亮という俳優との出会いが大きい。
はじめて会ったとき、わたしの作品であれば、
イヴァン・レオニドフが合うんじゃないかな、と思った。
我儘で野心家でピュアな孤高の天才。
しかし、生涯でその才能に見合う建築を立てることができなかった。
そのときの彼はなかなか不遇な状況にいて、
励ます意味で、脚本をあげた。

その彼とここまで演劇をいっしょにやることになるとは、
その時のわたしはとうぜん知らない。

「機械と音楽」で復帰するという案も長くあったけど、
いろいろな紆余曲折があり、
ここまで待っての再演となった。
美術と建築になんの興味もないのが不安材料だったので、
建築関係や、それ以外も役に立ちそうな美術展には
なるべく誘うようにして、かなりのものをいっしょに観た。

そんななかで「サグラダ・ファミリア」のドキュメンタリを観た。
わたしは、モスクワに行かないと次の「機械と音楽」はやっちゃいけない、
と思っていたけど、ガウディの建築に激しく反応した彼は、
イヴァンをやる前に「サグラダ・ファミリア」を観たい、と言った。
行きたい場所はと聞かれると、
バルセロナに行ってガウディに触れたい、と答えていた20代の自分が蘇った。
行けるなんて考えたこともなかったけど、
いまなら行けるし、行っていいんだ。

日本での仕事がない時期で、
ちょっとした仕事の絡みもあり、行く時期を2019年の3月に定めた。
調べてみると、LCCの隆盛もあって、ヨーロッパ間の移動は、
信じられないくらい安価だった。
であれば、せっかくなので、人生で行くべき場所、
行かないといけないと思っていた場所に
できるだけたくさん行こうと思った。
そうなるとけっこう壮大な旅になるので、
必要なところ、興味のあるところだけ同行でもいいんじゃないの、
と提案したが、彼は、なんとかして全部に同行する、と言い、
そして実際に苦労して時間を空けた。

3年のあいだには、いっしょにいろいろな芝居を作った。
沖縄に行き、水俣に行き、東海村にも福島にも行った。
演劇のための旅は共有することが日常になっていたし、
それがserial numberの根幹を成すコンセプトでもある。
わたしたちにとって行くべき場所は知らないあいだに幾重にも重なっていた。
すべてに同行という選択肢を選んだ彼にいまはただ感謝する。
この体験すべてを伝えるなんて無理だし、ほんとうに大きな旅だった。
人生も後半に差し掛かるわたしにとってさえそうなのだから、
まだまだ若い彼の人生にとって、この旅があるのとないのとでは、
まったく意味合いが違ってくる。それくらいの旅だったと思う。

モスクワとバルセロナはひとくくりで言うとヨーロッパだけど、
点と点で結ぶとずいぶん遠い。
点と点のあいだで、行くべき場所を吟味した。
ロシア・アヴァンギャルド建築の殆どが集まるモスクワと、
15歳のイヴァンが革命を目撃したサンクトペテルブルグはマスト。
もちろん、ガウディのバルセロナもマスト。

チェルノブイリとアウシュビッツ、というふたつの場所は外せない、
と意見が一致した。

建築という観点で言えばベルリンも行くべきだろう。
バウハウス。モダニズム建築を語るとき、外せない場所だ。
わたしの憧れの町でもあり、演劇も観たかったし、
街も歩きたかった。

コルビジュのフランス、も考えたけれど、
わたしは実はパリは行ったことがある。
彼のためだけにもう一回パリに行きたいとは思えなかったので、
外した。

ロンドンでは演劇を観る。観たい。

そんなこんなで6か国7都市を巡る旅をすることになった。

モスクワ@ロシア→サンクトペテルブルグ@ロシア→キエフ@ウクライナ
→クラクフ@ポーランド→ベルリン@ドイツ→ロンドン@イギリス
→バルセロナ@スペイン

こんな我が儘な旅は、自分でプランニングするしかないので、
ツアーはさいしょから検討せず、すべて自分で手配した。
エアー、ホテル、ロシアはビザがいるし、
チェルノブイリはツアーに申し込まないと個人では行けない。
わたしは素人だし、海外旅行に慣れてもいない。
どこかしらで旅の挫折がありそうな危なっかしいツアーだが、
結論から言うと地下鉄を逆に一駅乗ってしまった、とかくらいしか
失敗談がないくらい順調な旅だった。

調べて書く作風ゆえに日頃からgoogleにはお世話になりっぱなしであるが、
わたしが海外に縁がなかった20年のあいだにインターネットは
思った以上に進化していた。
サイトはロシア語でもスペイン語でも自動翻訳してくれるし、
劇場のチケットは、席を選んでカード決済。
美術館もサグラダ・ファミリアの塔も、事前に全部準備できる。
ロシア・アヴァンギャルド研究家でさえとてもたいへんだったという
ロシアの旅も、ストリートビューまで駆使して場所を確認し、
モダニズム建築のマップを作っていったことが功を奏して、
観たいものはほとんど全部しかも無駄なく見ることができた。

いっこやるにも徹底的に調べてしまう性格なので、
ひとつひとつ準備していくのはほんとにたいへんだったけど、
ちょっと前ならここまでひとりで準備するのなんて不可能だったと思う。
インターネットはこういうことにこそ使われるべきだな、
と心底思った旅でもあった。

そして3月16日、わたしたちは機上のひととなった。
写真はモスクワ到着初日。モスクワの優美な地下鉄駅を
(しかし実際は、怖いくらいの音で電車が走っていて、こんなに
優美なかんじではない)
劇場に急ぎ、歩くわたし。
記憶が鮮やかなうちにこの旅のことを書いておきたい。

「アトムが来た日」「夜が摑む」

「アトムが来た日」が終わって、年が明け、
オフィス・コットーネプロデュース「夜が摑む」を演出していました。

ふたつともたくさんのお客さまに来ていただき
ほんとうにありがとうございました。

「アトムが来た日」は大切な作品ができたな、と思い、
すごく大事に稽古してもらって、
本番中も足掻いて、最終日まで話をして、
深化しながら千秋楽を迎えることができました。
そんな作品が、
伝統ある岸田國士戯曲賞にノミネートしていただきまして、
座組みんなの気持ち、お客さまの気持ちに応えるものに
なったのかな、と嬉しいできごとでした。
とは言え、最終審査はこれからなんですけどね。
会う人に「おめでとうございます」って言われると、
アレ、なんのことだっけ、と毎回考えてしまう程度には平常心です。

そんなことよりも、福島に献身的にかかわっている知人友人の
観終わったあとの複雑すぎる表情のほうが心に残っています。
こんな作品観たくはなかったと思うんです。
いちばん心を使い時間を使っているひとたちを、傷つけた。
そんな作品だったと思っています。
でもおそらくいちばん理解してくれるのも彼ら彼女らだった気もしています。

わたしは未来の物語というかたちで、現実の話をしたと思っています。
と同時に解決する方法があるとしたらコミュニケーションと思考
というひとつの見解も示したつもりです。
わたしたちの稽古場は、ちいさなひとつの広場でした。
ここで分かち合ったものは図り知れません。
演劇的な成果のために創った演劇とは思っていません。
誤解を恐れず言うならば、わたしはこんな演劇は書きたくないのです。

今年の一月に、化石燃料を使用しないで水素ガスを作り出す方法が
できた、とニュースになりました。
それはグループラインでシェアされ、
わたしたちはほんのひととき、精神的な高揚を味わいました。
そんな仲間がいるというだけで、ここからの演劇を勇気をもって作っていけます。
継続して考えていくべきテーマです。
書きたくはないけれど、考えたくもないけれど、
書いてしまった責任を感じる題材でした。
逃げずに考え、時がきたらまた演劇にしていこうと思います。

「夜が摑む」はじつは外部では初めて演出のみをやらせてもらいました。
その一作目が、心から好きと言える作品で幸運でした。
ひとがひとを殺すことは解釈できない。
その途方もなさ。
わたしと大竹野さんはほとんど同い年で、
おそらく似たようなカルチャーを浴びて育ってきたという気がします。
わたしの高校はやけに哲学的な高校で、
教室の片隅で、わたしたちはよく議論をしました。
文化に飢え、焦がれて、アンダーグラウンドな音楽や、
ダウナーな漫画、小説、哲学書、そんな話をしながら、
自主映画を撮り、演劇をして、
小説を書き、短歌を詠みました。
そして、毎日、毎日、トランプでナポレオンをしていました。

そんな同級生のなかに大竹野さんがいたような気がしてなりません。
だから最初から、早く死んじゃった大切な同級生から預かったホンだ、
と思って演出していました。
いいかたちで世に出してあげたい、だって関東ではおそらく初演とも
いうべきホンなのです。
それが叶ったかどうかはわたしにはわかりません。
お客さまの言葉で、一喜一憂しました。
自分の作品のときはもっと冷静なのですが。
たいせつでした。がんばりました。がんばるのはあたりまえですが。

わたしは演劇家であると自分で思っているので、
演出だけの仕事というのはいただけるものなら、
これからもどんどんしていきたいと思っています。
その最初を預けていただき、プロデューサーの綿貫さんには
感謝しかありません。
綿貫さんがリスクを取りやっている公演です。
綿貫さんが観たい芝居を作れなければ意味がないとも思ってやりました。
少しでも心に応えるものになっていればいいのですが。

強い身体をもった俳優たちにも感謝します。
犯罪を犯す、ということはどこまで書いても言語化できない。
ただそのときの身体性をありありと感じることはできる。
そのために俳優の身体が不可欠でした。
削ってくれたと思っています。

そして立ち会ってくれたお客さま、ほんとうにありがとうございました。
もっと早く書くべきご挨拶が遅れて申し訳ありません。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

「アトムが来た日」が来た日

先週から「アトムが来た日」の稽古が始まった。
ギリギリで申し訳なかったけど、
前の日になんとかホンを上げて、準備して、稽古に向かう。

そして意見をもらいながら、解釈稽古を進めながら
リライトを進めていった。

いいホンが書けてるかもしれない、
という期待感はじつは途中からあった。
「アンネの日」も「海辺の鉄道の話」も
手ごたえはあったけど、書き直し前提で、
あ、これは確実にいいものになるな、と思ったのは、
リライトを超えてからだ。
しかし今回は、たぶん、新しい構造を発見したのだ。
この作品に対していちばん適切な構造を。
そしてそれは、いままで他の演劇で見たことのない構造だった。
入れ子構造というのはスタンダードだけれど、
その入れ子の要素が、見たことのないタイプのものだったと思う。

ずっとそれが見つからなくて悩んでいた。
最後に決めたもうひとつの設定と、最後に見つけた資料。
そのふたつが大きかったと思う。
でも、書いてるあいだに安心なんてできるわけがない。
もしかしたら、と思いながら、
不安はいつも以上に強大で、
作品は作家のわたしに対してさえ暴力的であった。

そして、稽古入りの日が来た。

読み終えた俳優たちが、高揚しているのが、
はっきりと手にとれた。
俳優が生きなければならない世界。
それを生み出せたんじゃないかな、と思った。

もうひとつは俳優同士のあいだに流れるものだ。
わたし以上に、俳優たちは、俳優に対してシビアだ。
このあいだ読んだ記事で、
アンソニー・ホプキンスが、
ホンを読めない俳優とやるのは時間の無駄だ、
と書いていて、わたしはホントにそうだな、と思ったんだけど、
俳優同士のやり甲斐というのは、それプラス
呼吸のやりとりだったり、人間性だったり、相性だったり
さまざまな要素を含むもので、
いい座組を組めたかどうかは、
やはりやってみるまでわからないものなのだ。

読み合わせをしていて、俳優たちのお互いに対して、
「お前やるじゃないか」と思っているのが、
あんな風にポコポコ生まれているのを見るのはいいものだな、
と思った。
「アンネの日」の初日を思い出した。
いまも、あのメンバーはすごく仲がいい。
人生をひとつ、わけあったという思いがあるからだと思う。
今回もそんな座組を作れたんじゃないだろうか、
そう思える初日だった。

そこを起点にして、リライトをして、
昨日、それが仕上がった。
舞台監督の翼さんは、ここ一週間ずっと稽古場にいてくれた。
え。解釈稽古だし、話し合いですよ、と言ったら、
解釈稽古ほどいないといけないでしょう、と言ってくれた。
演出助手の和田さんもどんどん進めてくれている。
小道具表が候補まで入れて完璧に出来てきていることに驚いた。
複雑な香盤表も早め早めに作ってくれるので、
わたしはそれを見ながらプランを立てるだけでいい。
そして昨日は、明日から小屋入りという美香ちゃんが来てくれて、
すごく大切な照明と美術が絡むある実験をしてくれた。
みんなでこれかな、あれかな、と光について考えた。
その横で、「アトムが来た日」が、紙という平面のうえに

完成した。

社会的なテーマであることは間違いない。
政治、科学、さまざまなことが絡み合い、情報量は限界値を超えた。
でも、なんだかこれは、
孤独についての話だな、と、わたしは思ったのだ。
哲学の話で、つまりは人間の話だ。

たいせつなホンが書けた。
わたしにとって。そしてたぶん俳優たちにとっても。
あとはお客さまにとってもそういうものになるように、
空間というものと戦う稽古が始まる。
わたしが演劇をやる意味。空間がそこにあること。
そこに俳優が立つこと。

チケットが珍しく早めの動きを見せています。
千穐楽が、まもなく完売です。
6枚です。
そのあともしかしたらベンチ席通路席、出せるかも・・・ですが。
あと、ぴあにはちょっとだけ残ってますが。
じつはそう言う状況はそんなに好きでなくて、
小屋入り一週間前くらいに急いでくださーい、
みたいに言うのが小劇場っぽくて好きなのですが、
ちょっとこれは早めにご予約が吉かもしれません。
お待ちしております。

珍しいけど、わたしのフォームを張ってみます。
あるんです。そんなものが。笑。
コチラ です。

そして、稽古場での俳優たちのつぶやきまとめを作りました。
コチラです。

 

アトムのことと2019年度のこと

『アトムが来た日』まもなく稽古が始まる。
ちょっと別仕事に取られたりとかして、まだ執筆しているけど、
稽古入りまでには書きあがると思う。
稽古場で調整しながら直して、
上演台本にまで持っていくのはここのところのスタイル。
書いてて自分で打ちのめされるという作品です。
けして暗い作品ではないし、笑いも入ってきそうですが、
情緒的にというより、作品の孕む現実に打ちのめされてる。
この題材ですから当たり前ですよね。
どんな作品か予測がつかない、と俳優たちが言ってましたが、
たしかに誰も想像してないような内容です。
こんな作品はわたしも初めて書きました。
この段階で言うことではないですが、この作品で、今回のキャスト。
タイヘンなことになるかもしれません。
ほんとにタイヘンなことになってきたらまたお知らせします。
いまは、ただの予感です。

上演時間は120分程度です。
わたしは、だいたい物語のスケールで上演時間を先に決定して、
そこにだいたい納める方式で書いています。
そのためであればカットもします。
大河ドラマなのに、90分はおかしいし、
ワンシュチュエーションの会議モノで120分超は持たない。
今回は、大河ドラマ×会議モノという特殊な作りです。
なので、120分。ちょい超えるかも。
と予告しておきます。

来年度のことを考える時期です。
演劇の制作に携わっている方なら、あ、なるほどと
思うと思います。
わたしは例年、ここまでに外部仕事含めて、
だいたいの構造をセットアップしてしまいます。
そしてほとんどそれとズレません。
もちろん資料とか取材で少し構想が変わることはあるんですが、
この習慣のおかげでとても自分が助かっています。
企画自体は2年先、3年先まで進めていて、
取材もだいたい同時に始めていて、詳細は、この時期に決める。
たいへんでもストーリーボード、書いておく。
クオリティ確保のために外せない習慣かもしれません。

というワケで来年度は、
自分のところは2本。
風琴工房時代の作品の再演がひとつ。
新作がひとつです。
再演は、これをやるためにserial numberを結成したと言っても
過言ではない作品です。
「アトムが来た日」の公演会場で配布するチラシで情報公開の予定です。
お楽しみにお待ちください。

新作も同じタイミングで発表すると思いますが、
これは圧倒的に面白いハズです。企画内容に死角なし。
ただ素直な気持ちで書けば面白くなる凄いテーマです。
早く書きたい。

外部提供もいくつかあります。
ひとつは、文学作品の舞台化になるのではないか、と思います。
これは、たいせつなたいせつな作品になる予定です。
またお知らせします。

そして、ああ。ついに、これを書く、というテーマに
手を出しました。
まだとうぜん情報公開されてないんでわたしが
書くわけにはいかないのですが、
たぶんなし崩しに、わたしも知らないうちに公開される予感がします。
そう。つまり。あそこですよ。
あのカンパニーに再び書き下ろしさせていただきますよ。笑。

来年度の最後は、「おとうふコーヒー」も記憶に新しい劇団銅鑼です。
わたしに作と演出も任せてくださるそうです。
こういうお付き合いの流れは嬉しいですね。
信頼に応えたいです。
題材は、幕末を生きた日本最初の女流写真家 島隆(しまりゅう)さん。
タイトルは「蝙蝠傘と南瓜」
先日「残の島」を朋友さんでやっていただき、
すごくステキな作品にしていただいたんですが、
ああいう女をテーマにした作品なー、
やっぱり自分でもやりたいよなー、演出、
と思っていたので、とても嬉しいです。

というわけで頑張ます。しかし2019年度が来る前に、
アトムがあって、リーディングがあって、旧作の作品提供と
コットーネがありますので。。。がんばります。
とにかくがんばります。