演劇の旅-ロシア編-

今回の旅では、たくさん演劇を見ました。
朝から動ける状態にしておきたかったので、
都市間はナイトフライトを選択した場合も多いので、
連日とはいきませんでしたが、それでも、
9本の演劇を観ることができました。

言葉がわからないので、
(英語であっても初見でわかるほど堪能じゃないし
ましてやロシア語やドイツ語はまったくわからない)
今回に関しては、
内容を知ってるもの、事前に予習できるものに限りました。
ヨーロッパでは劇場のサイトで席を選んで決済し、
紙でチケットを持っていけばよいシステムになっていて、
あいだに手配する業者を入れなくても容易に購入が可能です。
シンプル。これなら観劇文化も育ちやすいかも。

感想ですが、飛行機代をかけてまで観てますから、
辛辣なものも含まれます。
日本でも厳しい感想を持つことはよくありますが、
基本としてはSNSに感想は書きません。
人にどう思われるとかはどうでもいいんですけど、
わたしも作り手なので、
こういうところに書くくらいなら対面で言いますし、
対面で言えない相手なら、書きません。

最初はロシアです。
アヴァンギャルドは演劇から始まったといっても過言ではありません。
ヴェスニンなどの建築家たちも、
舞台美術を手掛けていたし、
マヤコフスキーもたくさんの戯曲を書いています。
アヴァンギャルドを代表する演出家メイエルホリドは、
スタニフラフスキーが演出した初演のかもめで、
コースチャーを演じています。

スタニフラフスキーシステムのお膝元ですから、
徹底したテキスト解析の元に演じられるという俳優たちの演技を
思う存分観たいとずっと思っていました。
昔、マールイ劇場が来日したときに見た「かもめ」は
衝撃的でしたから。

ただロシアは(ドイツも)レパートリーシステムと言って
日替わりで演目が変わります。
観たい演目が必ずしも行く日にやっているとは限りません。
日程を決めてしまってから演目を決めていったので、
何度も何度もいろんな劇場のサイトを行ったり来たりして、
演目を決めました。
ああ。この演目観たかったけど、日程が合わない、みたいなのが
たくさんありました。
出発日を操作するくらいはできたので、
もう少し考えて日を決めればよかった。

初日。
モスクワに着いたその足で、
チェーホフモスクワ芸術座の「三人姉妹」に向かいました。
ものすごく期待していたのですが、
始まった瞬間にあれ、これ好きじゃないヤツかも、
と思いました。

これは幕間。
レパートリーなので美術は基本としては簡素。

そして、肝心の中身はというと。

まず、演出の方針として、
ソファが客席に対して直角に置かれてたりするので、
しかもそのソファに並んでひとが座るので、
奥側に俳優が座ると姿が見えません。
見えなくてもいいという姿勢で演劇が行われています。

上下にカメラが設置されてて、
そのカメラが表情を捉え、
でっかくスクリーンに映し出されます。
俳優はマイクつけてて声は張りませんので、
テレビを見ているような感覚で舞台を観るかんじになります。
基本としては現代に置き換えられている(服装とか)
→テキストはたぶん再構成はされてない。

こんなカンジです。
この状態がずっとなので、人が舞台にいることも忘れてしまいます。
わたしは俳優が観たいので、
舞台の出来不出来以前に、
この状態に疲れ果ててしまいました。

そして、その演技が沈鬱そのもの。
とにかく全員がずーっと沈鬱。
「生きていかなくちゃね。」というあの有名なセリフを
いつ言ったのか気づかないくらいでした。

なぜなら生きていく気がそもそも全員ないから。

三人姉妹、驚くくらい綺麗でしたけど。
演技もたぶん、上手だったけど。
わたしの観たい演劇ではなかったな、と思います。
わたしはチェーホフに関しては、
ああ、こうやれば成立するんだ、というひとつの解を
求めていたのもあり、
チェーホフに関しておそらく熟しすぎたロシアで、
新しい解として提出された、
いわば応用編のチェーホフに馴染めなかった、
とも言えます。
とは言えいろいろ考えてみたものの、
あんな風にニヒリズムには徹底されないと思うんだけど。

翌日は、ゴーリキーモスクワ芸術座で、
(というワケでモスクワ芸術座はふたつあるので気をつけてね)
ハムレットを観ました。
ここがいちばん大きな劇場でした。
しかしですね。
ちょっと残念なくらいガッカリしてしまったんでした。
ワーッと群衆が出てくるトップシーンは、
おお。これはスペクタクルなハムレットが観られるの??
と期待しましたが、
たしかにスペクタクルではあるんですが、

ホレーショーの第一声で、
あれ、このセリフ、ホレーショーのハズだよね?
と二度見してしまうくらい、
なにを伝えたいのかがわからない。
そもそもハムレットと友人だと気づかない。

そしてハムレット。
ハムレットの浅さが致命的です。
戯曲を知ってる演目だと、
言葉がわからない分、
解釈とかダイレクトに伝わってくるもんですね。
この人がハムレットではとても見続けられない、
と思いました。

王様の亡霊は、巨人兵みたいな殺陣やっているし。

オフィーリアもこの人が狂ってもどうでもいい、
みたいなカンジだったし。

とにかくすべてが好みではありませんでした。

こんなカンジでビジュアルはカッコいいんですが。

インターミッションになった時点で、
田島さんが、
とうぜん帰りますよね、という強い意志を見せていたので、
そしてわたしももう限界だったので、

・・・帰りました。

ここまで2連敗。
モスクワの演劇に超期待していただけに敗北感も大きいです。

そしてモスクワ最終日。
マヤコフスキー劇場に、
「オーセージ郡」というお芝居を見に行きました。
これは正直言っていちばん期待していなかったお芝居です。
でも、月曜日でそんなにいい演目、
ほかにかかってなかったし、
これは「八月の家族たち」というタイトルで
映画になっているので予習できるし、
という理由で選択しました。

映画は、最初少しタイクツするけど、
最後まで見るとけっこう面白い映画でした。
家族のちょっとイヤな話というか、
日本の小劇場っぽい作品ですね。
俳優もメリル・ストリープと
ジュリア・ロバーツが主軸で超よかったし。
それでもそこまで期待してなかった。

これが。

いやー。たった2本でモスクワ演劇つまらないの?
などと疑って申し訳なかった、
とひれ伏すくらい素晴らしい作品でした。

映画ではメリル・ストリープが演じたお母さん役が
出てきた瞬間から釘付け。

これがトップシーン。
思わず座りなおしました。

映画では、
ジュリア・ロバーツが演じた長女の役の女優さんが、
「マム」と呼びかける声で、
母と子の愛憎がぜんぶわかる。
言葉がわからないなんてまったく忘れてのめりこみました。
てゆうか、素晴らしいと、
なぜか記憶のなかで日本語になってる。
ロシア語の演劇を観た、という感覚ではありません。
優れた映画もそうですよね。
心にダイレクトにセリフが届いているんだと思います。

これが映画でもとても印象的な食事のシーン。

とにかく俳優全員素晴らしい。
レベルが高すぎる。
解釈が深い。
リアリズムという言葉のホントの意味を
叩きつけられるような演劇体験でした。

わたしと田島さんは、
性格はまったく違うけど、
演劇とか映画に関しては驚くほどズレがないんです。

幕間では、昨日とはうって変わって
わかりやすく興奮している田島さん。

お互い感動したポイントをガーガー話しているあいだに、
2幕が始まりましたが、
映画ではややタイクツだった序盤が
あれだけよかったわけですから、
後半なんてもう。

たまらない。

映画ではカンバーバッチが演じた、
ちょっとボーダー気味の息子の愛しさ。
三女と図らずも近親相関になってしまうのですが、
うだるようなしがらみだらけの田舎町で、
このふたりの関係の純粋さを一瞬で好きになってしまうので、
じつはほんとの兄妹(姉弟かも)とわかる終幕が
あまりにも残酷で切ない。

この人たちでいろんな芝居を観たい。
「ガラスの動物園」も観たいし、
「欲望という名の電車」も観たい。
代表作というゴーゴリの「結婚」も観たかったです。

終わったあとも、
こんなことなら毎日マヤコフスキー劇場に通えばよかった、
と盛り上がりました。
いい芝居を観たあとは、ほんとに天にも昇る心地です。
こういう思いをしてもらえるように精進しなくては。

そして、移動したサンクトペテルブルグ。
ほんとは、ベニスの商人を現代風にアレンジした
ストレートプレイが観たかったんですが、
気づいたら完売していて、
バレエもいい演目がかかっていなかったので、
ミハエロフスキー劇場で、
「イオランタ」というチャイコフスキーのオペラを観ました。
歌唱はさすがに凄かったですが、
なにを観てるんだろう、と途中でよくわからなくなるほど、
プロジェクション・マッピングが多用されてました。
映像ショーに歌唱がついてくるかんじというか。

ロシア、映像使いすぎではないでしょうか。
もっと人の力で勝負してほしい。
俳優、みんな力があるんですから。
そして、イオランタが盲目というのがとても大切なポイントなのに、
少女時代のイオランタは盲目ですが、
精神を現したと思われる現在のイオランタは見えているので、
それは、あまり効果的ではない、と思いました。

というわけで、
ロシア演劇がすべて素晴らしいということではない、
ということと、
でも素晴らしいものは、
生涯のベスト10を揺るがす程度には凄い、
そしてたぶんそれクラスのものが、
フツーにたくさん上演されている。
というふたつのことがわかった体験でした。

注)画像は幕間以外すべて劇場サイトからお借りしました。

あと、うらやましいくらい劇場という文化が市民に根付いています。
有名な劇場ばかりということはありますが、
どの劇場も満席。
始まる前は劇場のパブで楽しみ、
幕間も楽しみ、
終演後もまた楽しむ。
老若男女、すごくカジュアルに演劇を楽しんでいます。
ロシアはチケット代もとても安いです。
これはヨーロッパを旅しているあいだじゅう、
敗北感といっていい感情を感じ続けたことです。
文化の厚み。演劇が愛されているということ。

ベルリン編に続きます。

ガウディの街を歩く-カサ・ミラ/グエル邸/グエル公園-

カサ・ミラ、正式名はラ・ペルドラ(石切り場)

バルセロナの一等地に建てられたカサ・ミラは、
実業家ペレ・ミラからの依頼によって建てられた集合住宅です。
集合住宅なので、夫妻の住居と、
賃貸人の住居がありました。
サグラダ・ファミリア、グエル公園と並んで有名な
ガウディの建築ではないでしょうか。
作った当初は人気がなくて、
親子三代家賃を上げないという約束で賃貸人を募ったため、
いまでも15万円くらいでこのバルセロナの一等地に建つ
お部屋に住めるそうです。
いまも4世帯が生活しているのだとか。

すごく正直に書くと、
今回、見学できたガウディの建築で、
ゆいいつ、ちょっとガッカリだなって思ったのがここでした。
というのも、オーディオ・ガイドが。
あ。オーディオ・ガイドは日本語がちゃんとあります。
そのガイドが、
劇作家目線で見てこれはどうなんだろう、というものだったんです。
やたらカサ・ミラを神格化し、
こう見なさい、と迫ってくる。

今回、いろんなところでオーディオ・ガイドを借りました。
そもそも声がそれに向いてない、とか、
活舌が悪すぎた、とか、
ガイドって大切って思ったんですが、
いちばん好きではないのは主観を押し付けてくるガイドですね。
今回だと、ピカソ美術館、そして、
カサ・ミラがわたし的には残念ガイドでした。
ピカソのほうは、最初事実とか豆知識が入って、
半分くらいから主観とか解釈を滔々と述べだすので、
途中から切る、という手段で乗り切りました。

しかし、ここカサ・ミラは、
その地点を通ると自動的に始まり、
しかもほとんど知識的なことはなく、
いきなりスピリチュアルな主観をグイグイと押し付けてきます。

最初のパティオに入った瞬間からそれは始まります。

「上をご覧ください。
もっと上です。
そう、ここは森です。
都会の喧騒から離れ、心を開いてください。
あなたの心の感じるままに、建物を見てください。
あなたの心の奥深くに、ガウディは、
史上かつてない領域の言葉を駆使して語りかけてきます。|
さあ、未知の世界への扉を開きましょう。」

いや。もちろんココロの感じるままに観たいですよ。
でもそんなふうに言われてしまったら。
わたしのような人間はかたくなに心を閉じてしまいますよ。

有名な屋上に入る瞬間はこれです。

「そこでは、
みなさんがかつて体験したことのない、
想像をはるかに越えた、
史上最も素晴らしい庭の風景に圧倒されるでしょう。
さあ、感じてください。」

無理だ、と思いました。
これではカサ・ミラがただのギャグになってしまう。

目の前に広がる史上最も素晴らしかったはずの風景のなか、
わたしはそっと耳からイヤホンを外しました。

ここは鯨の骨のような屋根裏部屋にあたるところ。

いまはカサ・ミラの展示室になっていますが、
昔はここにメイドさんたちが洗濯物を干していたそうです。

居室はシンプルです。
わりとフツウで住みやすそう。
ここはメイド室。

寝室です。

玄関ホールの階段。

そして、カサ・ミラとは逆に、
今回いちばん借りてよかったな、と思った
オーディオ・ガイドが、
トップ画像にもなっている グエル邸です。
グエル邸は、生涯ガウティを支え続けたパトロンであり、
バルセロナの文化のためにとても貢献した
実業家、グエル氏のためにデザインされた家です。
この家を深く観るためのとても適切なガイドだと思いました。

これが外観です。
旧市街の裏道に建つ外観は、
ガウディの他の建築に比べるとそこまで派手ではありません。
内部は瀟洒で美しく、
グエル一家がこの家をとても愛したというのが、
よく理解できます。

これが玄関ホール。
中からは外が見えますが、
外から中は見えません。

全体です。

グエル家の食堂です。
トップ画像は、礼拝堂であり、
コンサート等を開いたという客間の天井。
ガウディは光を取り入れることに拘った建築家です。
天井に空いた孔から光が注ぎます。

光の加減が美しい。

屋上はやっぱり奇怪な光景。
排気口とかをこうやってオブジェ化してるんだそうです。
楽しいですね。

ピカソ美術館から近い旧市街にありますから、
セットでぜひ見学するといいと思います。
感動しました。

そして、最後がグエル公園です。
ここは現在は公園になっていますが、
そもそもは建売住宅、つまりニュータウン的な場所として
グエル氏とガウディが計画した場所だそうです。
しかし、場所も不便で、
小高い丘の上という環境が当時のひとたちには受け入れられず、
30軒以上の住宅が建てられるはずだったという敷地に
じっさいに住んだひとは、
グエル一家とガウディ自身だけだったそうです。

いまはグエル公園を囲むように高級な住宅が立ち並び、
バルセロナの高級住宅街という趣きです。

有名な回廊。

グエル公園でいちばん高い位置にあるという
通称ゴルゴダの丘。

わたしたちはなぜか裏からグエル公園へ入ったのですが、
ここでひとつ問題が起こりました。
いちばん有名なゾーン。
すなわちタイルのウネウネしたベンチがある広場から
グエル公園と言えばここ、という、

このゾーンが今日はもう予約でいっぱいだから入れないよん、
と言われてしまいました。
なんですって。
ベンチは遠目で見れたからいいとしても、
わたしのいちばん会いたいトカゲが!
(恐竜に近い生き物たちが好き)
ちょうど植え込みの陰になってて見えない。
遠目ですら会えない!!

係のお姉さんが、
19時からならフリーで入れるよ、と教えてくれました。
時刻は18時。
田島さんが待ってもいいよ、と理解を示してくれたため、
一時間、門前のカフェで待つことにしました。

というワケで、19時と同時に階段を駆け上がるわたし。

いました。
可愛い。想像以上に可愛い。

嬉しそうにもほどがある。

そして、ベンチです。
遠目に見たからいいや、と思っていたんですが、
これがとんでもなかった。

先に座っていた田島さんが、
これ凄いよ、凄いよ、と興奮しています。
わたしも座ってみたのですが、
石の、硬いベンチだと思っていたのに、
ものすごく座り心地がいいんです。
体を包み込んでくれるような。

あとで調べると、ガウディは人の骨格などにも
拘って家具やこういったものをデザインしたそうです。
まさか人間工学的な見地もある建築家とは、
写真だけ見ていたらわからないですよね。
タイルもタイル工場で売り物にならなかった半端なものを
使っているそうです。

いのちが回復していくような、
すごいベンチでした。
グエル公園のベンチは。
行く機会があったらぜひ座ってみてください。
いっしゅんどこか凄いとこに連れてってくれますよ。

時間内に入場できなかったので、
こちらにあるもうひとつのグエル邸内部は見られなかったけど、

ガウディのシンプルで美しい自宅は見学できたし、
カサ・バトリョも、
カサ・ビセンスも外観は見ることできたし、
ガウディを堪能するという目的は果たせたかしら、
と思います。

というわけで、
建築を中心に置いたわたしたちの旅はこれで終わりです。
2026年に完成予定という
サグラダ・ファミリアが完成した姿を観たいとは
正直あんまり思わないのですが、
(どうしてでしょうね)
バルセロナはまた帰ってきたい街です。

読んでくれてありがとうございました。
でもまだしつこくちょっとだけ続きます。
演劇編。
ロシアからロンドンまでひと息に旅しますね。
どうぞお楽しみに!

ガウディの街を歩くーサグラダファミリア編-

バルセロナに行きたい、と人が言うとき、
その大きな一部をガウディが担っているのではないかと思います。
ピカソもミロもダリも、
他の場所でも見ることができる。
でも、ガウディが一生涯をかけて作ったサグラダファミリアは、
バルセロナに行かないと会うことができません。

わたしの知る、バルセロナに行った人たちは、
皆、ガウディの建築は呼吸してる。
行かないとわからない。

と言います。
悔しいなー、と思っていたけど、
でも確かに写真でだけ見ていると、
どこか怪物じみた、
建築という概念を外れた
異形の建築に感じられます。

そんなガウディの建築に、ようやく、
会うことができました。

じっさい目の当たりにすると、
たしかにバルセロナの街並みのなかでも
異彩を放ってはいるのですが、
写真で見ていたものとはまったくベツモノなんだな、
とわかります。

なんとなくダリとかガウディ好き、
と言ってればカッコいいんじゃない、って勘違いしてた若い頃。
バウハウスみたいな直線の建築が好きで、
もしかしたらそこまで好きじゃないかも、って思ってた
それからの年月。

じっさいに見て、触れて、
いまは、好きを超えたなにかを感じています。
すべてが特別すぎました。

初日、いちばん最初に、サグラダファミリアに行きました。
最初と最後がサグラダファミリア。
そう決めていました。

サグラダファミリアのドキュメンタリで、
サグラダファミリアはあまり大切にされていない、
なぜなら、周りの景観は平凡で、
地下に鉄道を通そうとしている、
というくだりがありました。
(サグラダファミリアが建築許可が切れていた、とか
そういう問題が背景にあったらしいです)

最寄りの地下鉄駅を降りて、階段を上ると
そこにはサブウェイとかマクドナルド。
あー、ほんとに映画で言ってた通りだなあ、と思いながら振り返って、
飛びのいてしまいました。

なぜならそこにとつぜんサグラダファミリアが聳えていたから。

これは生誕のファサード。
よく写真で見るのは、前に公園があって、
その池越しに撮った絵です。
じっさいは、あんなに美しい場所に立っているわけではありません。
そうですね。。。
渋谷のヒカリエのかわりにサグラダファミリアが立ってるカンジ
を想像していただけると。

でもそんなこと、まったく関係ないくらい、
サグラダファミリアは美しかった。
じっさいに行ってみないと、
そして中に入らないと、
この素晴らしさはわからないと思います。

裏側に受難のファサードがあります。

予約するとき、どちらのファサードから入るか、
どちらの塔に上るか聞かれます。
塔には登らないチケットもあります。
おそらくとても悩み、もしかしたら両方、
時間や日を変えて入ろうか、と考える方もあるかもしれませんが、
その必要はまったくありません。
なぜなら、内部はひとつに繋がり、
塔も登ると回廊で繋がれて、
どちらからも降りてこられるからです。
そして、生誕側から入ったひとは受難の側へ、
受難から入ったひとは逆の順路で、
出たり入ったりできるというか、
ガイドツアーがそういう作りになっています。

わたしはでも、やっぱりガウディが生きている間に完成した
唯一の門である、生誕のファサードから入りました。
生誕のファサードには、なんと。

ロバがいましたよ。
この他、ロバはキリスト生誕のシーンでも、
横に控えて見守っていました。

こんなところにもロバが。

オーディオガイドは日本語が用意されています。
ほぼすべてのガウディの建築で日本語ガイドがありました。
日本人観光客もとても多いです。

オーディオガイドはとても丁寧に作られています。

ここが祈りの場であること。
はしゃぐために来る場所ではないこと。
きちんと説明してくれるし、
世界にすっと吸い込まれていくような気持ちにさせてくれます。

内部は、無宗教なわたしも敬虔な気持ちになる、
あたたかな荘厳さに包まれていました。
ガウディの建築で、
意外だったけれど、いちばん感じたのは、
このあたたかさです。
曲線が多用された有機的な建築だから
というのもあるかもしれませんが
おそらくはこの建物が持つ哲学が
孕む温度であるように思いました。

これは、生誕側のステンドグラス。
生誕の側は、ブルーを基調にした寒色です。
受難の側は、オレンジを基調にしています。

サグラダファミリアには、
自然のすがたがいろいろなかたちで取り込まれています。
果物が掲げられた塔や、
絡まる蔦の彫刻、鳥、
光のありさま、
逆らってはいけない、
と生前のガウディは常に考えていたそうです。

その中で、
人間というのもそれらのものより偉いものでも
劣るものでもなく、
等価に捉えられている。

それは、そのまま、いのちを、
肯定してもらっている、
そういうことなのだと思いました。

有機的すぎて
もしかしたら怖いと思うかもしれないと思った内部は、
ただただ美しく、歩いていると、
森であったり、山の中だったり、
そんな場所にいるような気持ちになります。
わたしたちはここから来て、ここに帰るのだ、と。
そうだ。ヤンバルの森のような。

塔にはエレベータで登ることができます。
塔に上ることができる券を買うと、
塔に上る15分まえくらいに入場となるので、
入ったらすぐに塔にのぼらなければいけません。
わたしたちはノンビリオーディオガイドを聞いて
いろいろ堪能してから行ったので、
ほんとはダメだけど登っていいわよ、と係の方に言われました。
ハイシーズンだとそのあたり厳密かもなので
お気をつけください。

これは塔から下を見下ろしたところ。
塔に上らないチケットもあるけれど、
せっかく行くのならぜったいに上ったほうがよいです。
胎内を歩くとはこういうことなのか、という
体験ができます。
階段を下りているあいだほんとうにしあわせでした。
ただ階段を下りていくだけなのに。
この時間がずっと続いてほしい、と思いました。

自分でもちょっとびっくりするくらいいい顔をしているわたし。
自由ですね。とても自由。
ガウディは言いました。
「人は不自由な存在だ。しかし、人間の意欲のなかに自由は存在する。」
モノを作るひととして、
いちばん手放してはいけないスピリットを、
わたしはその時、
この手に握らせてもらっていたんだと思います。

サグラダファミリアは、ガウディが設計者とは言いますが、
スペイン市民戦争で、模型も資料もすべて燃やされ、
いまは、ガウディが残した部分をもとに、
さまざまな人の英知と技術によって作り続けられています。
ガウディの残した言葉、思想をもとに、
作られている、とても特殊な建築です。
関わっているひとたちは、
ガウディならどう考えるか、と深く思考しつつ、
だからと言ってガウディにおもねず、
作り続けています。
そんな作り方をされている建物があること自体が俄かには
信じられません。

日本人としてサグラダファミリアの彫刻を掘り続け、
重要な仕事をたくさんされている
外尾哲郎さんという方がいます。
その方の「ガウディの伝言」は名著だとわたしは思うんですが、
わたしが百の言葉で説明するより、
ずっとこの建物やそれを成り立たせている思想を
知ることができると思います。
コチラにインタビューがあります。

ガウディは最後、不慮の事故によって亡くなっています。
最後の日、たくさんの技術者たちにこう声をかけたそうです。
「諸君、明日はもっとよい仕事をしよう」
その明日は巡ってはこなかったのですが、
その精神は脈々と受け継がれています。

本来は演劇も、そのように作られるべきなんだろうと思います。
戯曲という設計図があり、
演出家が道筋を作る。
でもそこから先は、
俳優やスタッフたちが自分の存在をかけて、
彫りだしていく。
最後に作品ができる。
それは誰のものでもない。

住宅を作るときは、
オーナーがそこに住んで幸福であることを大切にしたということを
帰ってきてから読んだ本で知りました。
そう。我の強い天才だと思っていたガウディは
(気性はとても激しいひとだったそうですが)
むしろ建築の考え方は徹底して無私のひとだったのです。

そのことは知らなかったけれど、
わたしはいろいろな瞬間に、
そのことを感じ続けていたような気がします。

ヨーロッパの教会はどこも、
神様にささげられたものは美しいな、
と思わせる特別な場所ばかりですが、
サグラダファミリアは、神様の幸福のために創られた場所。
そんな思いで作られた教会が、この世にあるなんて。

ガウディは、
自分で作った美術館に埋葬されたダリ同様、
このサグラダファミリアの地下に埋葬されました。
教会の地下に、一介の建築家が埋葬される。

ほんとうは今日だけでガウディを書ききるつもりだったけど、
とても無理でした。
あとほんの少し、お付き合いください。

カダケス ダリの卵の家へ

さて。今日は超大はしゃぎになります。
いや、それはちょっと、という方はここで引き返してくださいね。
仕方ないんです。

バルセロナからエクスプレスで1時間20分ほどのところに、
フィゲラスという街があります。
そこは、ダリの生まれ故郷。
ここには、ダリ劇場美術館 という、
ダリの美術館があるのです。
ここに行きたいがために、バルセロナ滞在は長めにとっていました。

フィゲラスだけならいいんですが、
わたしにはもうひとつ野望(というほどでもない)がありました。
ダリがガラと晩年を過ごした自邸。
卵の家に行ってみたかったのです。
そこは、フィゲラスからさらにバスで一時間ほどの
カダケスという港町にあります。
バスが一日3往復くらいしかないので、
バルセロナから日帰りはけっこう大冒険。
何度も何度も、バスの時間、そしてエクスプレスの時間、
そして美術館と家の予約の時間。
どうするのがいいかシミュレーション。

ほんとにこのプランで行って帰ってこられるか不安すぎて
どうして田島さんに国際免許を取っておいてもらわなかったかな、
と後悔したくらいです。
まあバルセロナからオプションツアー的なものが出てる気がしますが、
そういうのって超高いからね。
いま調べたらひとり230ユーロですって!!
個人でがんばれば、ぜんぶで80ユーロくらい。
サイトには、個人で行くのはムリって書いてたけど、
やればやれる!!やったから!!わたしは!!

というワケで行ってまいりました。
フィゲラス&カダケス。
結果から言うと、一泊してもいいから行ったほうがいいよ、
とオススメしたいです。
楽しすぎました。

朝。バルセロナ・サンツ駅というところからエクスプレスに乗ります。
早めに行きましょう。
なぜならエクスプレスに乗るには荷物検査があります。
わたしのときは、なにかのスポーツの大会に行くらしき
高校生たちとかち合いました。
改札抜けるまですっごい時間がかかった。

電車も予約できるので予約しておいたほうがいいです。
チケットを現地で買おうとするとシステムとか言葉の壁に阻まれて
買えないことがあるのでね。
とは言え、バルセロナは、
機械化されたのが遅かったのか、
エスカレーターもゆっくり安全(ロシアとか凶器に近い)だし、
地下鉄も次の駅はここだよ、って電光表示してくれるし、
日本に近い感覚で移動できます。

で、移動しまして、フィゲラス・ヴィラファント駅へ。
ここも注意点。
フィゲラスにはローカル駅であるフィゲラスと、
エクスプレス駅であるヴィラファントがあります。
そのあいだの距離は徒歩で40分くらいではないかと。
新幹線駅は離れてるみたいなカンジです。
で、ダリ劇場美術館は、ヴィラファントから徒歩30分近くかかります。
ちなみにフィゲラスからでも15分くらいです。
バスに乗ろうとしたら歩いたほうが早いよ、と言われたので歩きます。

これは内部で撮った写真ですが、
とつぜんこの卵が飾られた、そしてパンが張り付けられた
赤い壁が見えてきたら、そこが劇場美術館です。

ダリ劇場美術館は、
ダリが生きているあいだに開館した美術館です。
有名な絵画はそんなにたくさんは置いてありませんが、
ダリ自身による遊びこころ満載の、
それはそれは楽しい美術館です。
もともと劇場だった場所を美術館にしたそうですが、
展示もまさに劇場。
この場所を与えられてイマジネーションが湯水のように
湧きあがったダリの躍動する姿が、
そこかしこに踊っているような楽しい美術館です。
こんな美術館、初めて行きました。

ダリはここの広場みたいなホールの真ん中に、
観光客たちに踏みしだかれるようなカンジで埋葬されています。
幸福な人生だなあ。

入った正面にこんなオブジェ!
ドーン。

車の上部にある彫刻を裏から見たところ。
垂れ下がっている!!なにかが。

フランスパン!!
ダリといえば、フランスパン!!
全体のフォルムもナゾめいてますが、

細部に蟻。

こういう楽しい展示物が、あっちにもこっちにも、
誰も見ないかもしれないようなところにも、
展示されています。

そういうダリもピカソ同様、
アカデミズムな意味でも素晴らしい技術のある画家でした。
これは、ガラのうしろ姿。
ガラはご存知とは思いますが、
友人から略奪した、
ダリが生涯をかけて愛した妻です。
ダリの絵の女性はほとんどガラがモデルです。

これもガラのうしろ姿と、それを描くダリの手。

この絵は超巨大です。
その絵を観てる人たちの足元の一部、
床の色が違うのがわかるでしょうか。
ここがダリのお墓です。笑。
気づかず踏んでるひと、たくさんいそうです。

ひとつひとつはふざけてるのかな、というような
自由闊達な作品ばかりなのですが、
創作姿勢はいたって真面目で、
アートをすごく愛していて、
特に晩年は、コンセプトに敬虔なキリスト教者としての
思想があることもわかりました。
現地まで行ってみて、
コマーシャルで、資本主義的な成功を是とし、
奇矯な変人と思っていたダリの別の顔を見た気がします。

そして、どんなに人気取りしたくても、
誰もこんなこと思いつかないよね、
という真の天才だということもわかりました。
奇を衒えばこんなものができるなら誰も苦労なんてしない。

ダリのせいでココロが開放されて、
自由に暴れるわたし。

やっぱりワニが好き。

押さえきれずダリとともに躍動するわたしと、

躍動を強制された田島氏。

そして、わたしたちは、今度はフィゲラス駅に向かい、
カダケス行きのバスに乗りました。

カダケスはフィゲラスに生まれたダリが、
少年時代、毎年避暑に訪れた場所だそうです。
都会の喧騒を離れアトリエを持とうと考えたときに、
ここカダケスがいいととつぜん浮かび移住したそうです。

というわけで一路向かったわけですが、
これがもう信じられないような山道。
こんなとこ、こんなデカいバスでヘーキなの、
というようなところです。
運転荒いし、いのちの危険すら感じました。
乗り物ダイジョウブなわたしもだいぶ酔ったので、
酔いやすい方は酔い止め必須でしょう。
片道1時間ちょっとですが、カダケスは保養地なので、
バカンスの季節は、この道が渋滞でたいへんな
ことになるようです。

なのに、ポール・リガト(卵の家)は、
完全予約制なうえに、入る時間の30分前までに
受付するのがマスト。
しかもバス停から20分くらい歩きます。
→どこでも徒歩で行くわたしたち。
遅れるとあとの時間に回されたり、
いっぱいすぎたら入れなかったりすると聞いたので、
緊張しましたが、
13時30分のバスに乗って、14時50分カダケス着。
15時20分の締め切りに意外にギリギリでした。
ハイシーズンに行く場合は、カダケスで一泊するくらい、
余裕のある旅程を組んだほうがいいかもしれません。
美しい青い海とステキなレストランもたくさんある、
いい街ですから。カダケス。

これはカダケスの街をポール・リガトへ向かい歩く道。
明るく光りに満ちていて、
歩いているだけで楽しいです。

30分は海辺でボンヤリタイム。
これがとにかくいい時間。

で、時間が来たらいよいよ入場です。
10分置きに、たぶん10人くらいづつ。
ガイドさんがついてくれるのですが、
その方、ステラおばさんのクッキーのステラさんみたいな
ホノボノした外見の方なのですが、
スペイン語、フランス語、英語を扱うトリリンガルでした。
わたしのときは、
スペイン語のひと、フランス語のひと、
そしてわたしたちが英語と、
大車輪でした。
すごーい。かっこいい!!

有名ですが、入るとまずこのひとがいます。
ああ。わたし、ダリの家に来たんだ、
と誰もが実感するに違いありません。

リビング。
しかし抜かりなく羊のはく製が!!

そしてどうしてもはく製は撮りたいわたし。
掲載するにあたってはだいぶ遠慮しましたが、
自分でもどうかと思うくらいの
はく製の写真がi-phoneに残されていました。
なのに綺麗な海の写真とか、
白いリゾート地なカダケスの写真とか、
インスタ映えする写真がほとんどありません。

ベット。美しすぎる。

ダリの多彩な交流の記録である写真のなかに、

ダリとデュシャン。
地味に興奮するわたくし。

そうそう。ダリってあのヒゲの写真のイメージが強いですが、
若いころは信じられないくらいイケメンなんですよね。

奇人変人と言われてますが、
友人に対してはきめ細やかな常識人だったそうです。

シューレアリスムの鉄人、ブルトンに、
「ドルの亡者」となじられましたが、
じっさいのダリは、
資産の管理はガラに任せっぱなし、
お金がなくても友人には貸してしまうという、
そんな人だったそうです。

カダケスからまたバスでフィゲラスへ。
フィゲラスからフィゲラス・ヴィラファントに
30分で移動しなければ帰りのエクスプレスに
間に合わないのがいちばんの心配でしたが、
タクシーの運転手さんが文字通りぶっ飛ばしてくれまして、
10分前に駅に到着。
なんとかバルセロナまで帰ってこれました。
これもオフシーズンだったから可能だったのでは、と思います。

行った場所がリゾート地ということもあり、
旅のフィナーレに相応しい小旅行でした。
楽しかったです。
ダリはバルセロナで堪能することはできないので、
ぜひフィゲラス&カダケスへ。

明日は、いよいよバルセロナへと来た理由。
ガウディについて書きます。
読んでくれてありがとうございます。

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バルセロナにて魚とピカソ

ベルリンからロンドンに向かったのですが、
ロンドンは、演劇編に譲りまして、ブログはひとあし先に
スペインへと向かいます。

ロンドンの演劇以外の特記事項としては、
子供の頃からの憧れ、自然史博物館に行けたことです。
入口にダーンと飾られた鯨の骨格標本、
そして、充実の恐竜の展示にどれほど憧れたことか。

・・・しかしですね。
恐竜・・・正直に言うと、たいしたことなかったです。
(恐竜マニア)
幕張で開催される大恐竜博のほうがずっと凄い。
(基本としては毎回行く)
最近は上野の科博も頑張ってる。
とはいえ、行ってみないといつまでも行きたいままですからね。
行けてよかったです。
通りすがりに大英博物館で、
ロゼッタストーンも観ましたよ!

というワケで、バルセロナです。
バルセロナは、これからそれ、書くんだ、と
考えただけで疲れるほどに盛りだくさんでした。
そして、ごはんがとにかく美味しい。
自分が食いしん坊であることをとつぜん思いだし、
いきなり食事に貪欲な姿勢を見せるわたし。
あと、ひとがとても親切。びっくりするくらい親切。
なんせホテルに夜中についたのに、
フロントのおじいさんが、
地下鉄の乗り方とか、わたしたちが行くであろう
名所の行き方とか丁寧にレクチャーしてくれる。
いろんな国があって、
いろんな人たちがいて、
すごく楽しい旅だったけど、最後がスペインで、
バルセロナでよかったなって思います。
人見知りのわたしでも、ひとと触れ合えたから。

写真は、バルセロナ水族館です。
旅行先で、水族館とか遊園地行くのが好きなんですが、
盛りだくさんすぎて行けてませんでした。
ベルリンなんて、動物園駅っていうところにホテルがあったのに!
ベルリン動物園、徒歩5分だったのに!!
この日は、ミロ美術館がなんと、日曜日は15時で閉館だよ、
の罠にかかり、時間がポカンと空いちゃったので行くことができました。
(つまりミロは見損ねたのよ)
楽しかったですが、日本の水族館に慣れていると、
正直やや物足りないですね。
わたし、水族館は全国各地行っているので、
目が肥えすぎていたかもしれません。

充実のブログは明日に譲ることにして、
ピカソ美術館について。
有名なゲルニカはマドリッドにあります。
バルセロナは、
ピカソが生きているころに開館した唯一の美術館ということで、
ピカソが若いころの作品をたくさん寄付していたりして、
ちょっとマニアックです。
美術館としては、お城をひとつまるまる使って、
立体もたくさん展示された、
パリのピカソ美術館のほうが楽しいな、と思いましたが、
ピカソが古い絵画をリスペクトして再構成して描いた絵を
そのプロセス含めて観ることができたり、
そういうのがとても楽しかったです。

これはベラスケスの「女官たち」という作品ですが、
それのピカソパージョンが

コレ。この女官たちには特別の思いがあるらしく、

いろんなバージョンがありました。
作品を観たらなるほどと思うのですが、
どうしてこうなるのかが不思議です。
ピカソも、明日、お腹いっぱいというくらい特集される予定のダリも、
生前にアーティストとして成功したひとというのは、
そういうひとにしかない良さがありますよね。
おおらかというか、自由というか。
それとも自由だから愛されたのかしら。

というわけで、
今日はサクッと終わらせて明日に備えます。

読んでくれてありがとうございます。
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