公演を中止するという選択のこと

公演中止という選択が続いた。これについて、うちならやるとか、やらないとか決意表明してもまったく意味がないように思う。なぜなら、公演は計画された以上、やるのが当然で、それ以外を望んでいるひとは、今回の当事者含めて、作り手、お客さま、どちらもいないと思うからだ。また、できるかぎり創るプロセスも美しくありたいと、創り手はもれなく思っている。そのフローは、おそらく誰が考えるものであっても似ているはずで、わたしたちはある意味、同じ理想を持って進んでいる。しかし、それは、当然のように完璧にはいかない。いろいろな要素があって、絡み合った結果、今回のようなことが起こってしまう。

今回の件に関しては、小劇場全体の問題、などと思っているわけではないけれど、なにか責任のようものも感じている。それはここには書けない似たような事象を最近体験したというのもあったからだと思う。(それは、わたしがひとつの原因ともなり、起ったことだった)なのでまずは、演劇公演といういろんな意味でとても大切な契約を破られてしまったことに対して、わたしが取りようもない責任をかんじていることはお伝えしたい。その上で、ちょっと書いてみる。

ゼロから1を生み出すことの途方のなさに常に晒され、体験している身としては、そんなかんたんには、頑張ればやれたハズ、とも言えないし、でも自分も体験してるからこそ、それはなんとかできるはずだし、しなきゃでしょ、とも思う。筆が遅いとか早いとか関係なく、劇作家であれば、きっと誰もがそうなんじゃないか。だから今回のことで、関係のない劇作家のひとたちも、そうとうメンタルに負担がかかったんじゃないかと思う。演劇に関わるすべての職種の中で、というか、演劇も関係ない全ての職種のなかで、かなり特殊な仕事なのだ。作家とか劇作家という仕事は。根性論では、どうにもならない。このあたり、根性でいつもなんとかしているわたしが言うのだから、信じてほしい。

つい先日の公演パンフレットに、書くのはまったく楽しくない。書きあがるのは楽しい。書きあがるという奇跡があるから、劇作家という仕事を続けている。と書いた。この奇跡は奇跡なのでいつ途絶えるかわからない。モチベーションはほんのささいなことでゼロになる。劇作家の心を台無しにするのは、すごくカンタンなのだ。一回台無しになると3日くらいはフツーになんにもできない。アタマの中は常に五月蠅く、狂わない自分が異常だとわたしは思っている。(実際のわたしの精神は劇作家としては超安定型とは思うが、そんなわたしでさえそうなのだ。ましてや繊細なひとなんて、うかつにテレビもつけられないんじゃないか)

少し思ったのは、もう少し劇作の技術というのはシェアされていいのかもしれないということだ。書きはじめるのに技術はいらないが、書き上げるということに関して、おそらく助けてくれるのは技術だからだ。信頼しあう劇作家同士限定だと思うけど(書くのを代わるとかではなく)、気楽にレスキューし合える場があるといいのかもしれない。でもな。そんな場を持って、かえって台無しになる可能性もあるから難しい。この仕事はほんとうに。でも俳優がジリジリとして苦しい思いで待っている現場は、他人事とはとても思えない。なにかよいシステムが作れないものだろうか。

さて、最後にわたしが大切にしているあるエピソードをご紹介したい。亡くなった大地喜和子さんが、宮本研さんの、とある作品の出来があまりよくなくて、でも文学座の方たちがそれでもそのまま初日を開けようとしたときに、喫茶店の床に転がって、このまま幕を開けるなら死ぬ、と叫んだそうだ。それで、みな、自分の分別を恥じ、初日を遅らせて書き直してもらい、幕を開けたのだそうだ。

だから、クオリティの甘いものなら公演中止も止むかたなし、という話がしたいわけではない。でも、このときの太地さんはどれほど美しく、可愛かったか、と思う。そして、その選択は間違っているとはとても言えない。演劇の希望だな、とさえ思う。そんなわたしは井上ひさしさんの遅筆はまったく美しいと思っていない。俳優が、クオリティのために戦ったというところにこの話の美しさはある。表舞台を守る俳優のため、劇作家はやはり稽古期間を削ってしまってはいけないのだと思う。自分の演出の現場だとしわ寄せがきて、俳優に負担かけてしまうこともあるので自戒の意味を込めてほんとうにそう思う。

とにかく、公演初日に、最高のクオリティのものを届けられるよう、命がけでやるしかないのだわたしたちは。クオリティが間に合ってないのも、幕が上がらないのも、両方ダメなのだ。そういう厳しい仕事なのだ。

とは言え、それはそんなに簡単なことではない。また、そうなるように個人で努力すればいいところと、全体で考えていかなければいけないこと(お金にならない小劇場という製作の仕組みや、新作至上主義)がある。防ぐための万能の仕組みなどないのだ。でもどうすればいいのかについては考えてなければいけないと思う。書かずに済んだら、と思っていたけど、少し考えをまとめたくて書いた。引き続き考えていきたい。

詩森ろば
serial number(風琴工房改め)の劇作家・演出家です。

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