なにが起こっているのだろうと毎日思いながら、
粛々と演劇や創作の準備はするしかない。
時間が前へ進んでいく。
情緒の問題は大きい。揺れる。
でも、そこを少し切り離して、考えてみる。
実際戯曲を書いていてよくあるんだけど、
自分の脳のなかに、
宇宙みたいなものができる瞬間を感じることがある。
記号みたいな資料を読み続けて、
あるとき、今調べているそのことが、
ひとつのつながった体積をもった何かになる。
場所に行った瞬間にそれが起こることもあるし、
人の話を聞いてるときのこともあるし、
ひとり自分の部屋で書いているときのこともある。
脳科学の本で、
なにかについて調べたりしてると、
あるとき、脳細胞同士がシナプスでシュシュッとつながって、
ひとつのスペースみたいなものを形成する瞬間があって、
そのとき、ひとは理解したって感じるらしい。
考え続けてないとその瞬間は訪れないし、
知識も必要だし、
でも確かに、あんなタイヘンだった資料が、
立体的に読めだす瞬間っていうのがある。
わたしは自分の体でそれを知ってるなって思った。
その快感をしってるから、
快感って敢えて書くけど、
なんかタイヘンそうな題材だけどやってみっかな、
という気持ちになれるんだと思う。
2019年の初めに、
ロシアに行った。
モスクワからサンクトペテルブルクを回り
そこからウクライナに飛んだ。
チェルノブイリのツアーに参加するためだ。
今回の火種になったようなことは、
わたしが知らなかっただけで当時からあったらしく、
そういえば何度も、
ガイドツアーのガイドさんが、
「ソヴィエト・システム」という言葉を使っていた。
英語が堪能じゃないわたしにも、
複雑なものを孕んでいるんだな、と分かるような
言い方と説明だった。
ちゃんと調べずに3年が過ぎた。
戦争が始まる少し前、
キーウから特派員のひとがレポートしていて、
あ。ここわたし歩いたじゃん、
ホテルこの近くだったじゃん、
と、とつぜん思い出した。
アッというまに、戦争が始まった。
もっとちゃんと勉強しておけばよかった。
当時は、チェルノブイリのことを勉強しなおしたりするので、
手一杯で、だいたい満足してしまってた。
ダメじゃん、と思うけど、
ダメだからほっといていいってもんでもないなあ、
と思って恥を忍んで調べている。
でもわたし、キエフもモスクワも行ってるから、
調べててもなんとなく理解が早い。
そもそも、
ロシア・アヴァンギャルドを書いているので、
ロシア革命からスターリン、
そこからペレストロイカへの流れも
理解しないと書けない戯曲だったし。
そして、
チェルノブイリに行ったことはやっぱりすごく大きくて、
わたしの身体性を無条件に揺り動かす。
話変わって。
よく、シリアのこととかが引き合いに出されて、
なんでシリアや中東のことは興味持たないのに、
なんでウクライナだけ、という言葉を聞く。
そういう意味なら、
ウクライナとロシアの緊張関係については
まったく知らなかったわたしは、
シリアについてはわりと調べてて、
中東についてはまあまあわかっている。
と思う。
あくまでまあまあくらい。
それは、9.11のときに、
石油の利権の問題から解き明かしていた番組を
見たからというのも大きい。
あ。そういうふうに戦争って分析しなくちゃダメなんだな、
って知った体験だったから。
そこからドキュメンタリー映画見たり、
本を読んだり、
日々の習慣みたいになっている。
日本の人と結婚されたシリアの方のお話を
聞きに行ったこともある。
だけど、そもそもイスラム教がよくわからないので、
それがゆがんだ形になったISのことは、
知識としてはわかっていても、
なかなか身体に落ちてこないところはある。
なんでアレッポがあんなことになっているのか、
理不尽さしか感じられない。
石油の利権を巡る貧富の問題が、
宗教戦争のかたちを借りて噴出してるんだろう
アメリカ主導のグローバル経済の歪が、
中東を切断していく。
それはわかる。
でもしかし。
ユダヤ・パレスチナ問題が、
世界にものすごく影響を与えているのは、
わかっている。
でも、イスラエル建国がなぜできてしまったのか、
パレスチナのひとたちが
パレスチナ自治区という、
時にパレスチナ・ゲットーと呼ばれる閉鎖地区に、
閉じ込められているのはどうしてなのか、
現象としては理解できても、
根本的なところが、
いくら読んでもわからない。
正当性がまったく感じられない。
自分がその立場だったら、
とても耐えられない、という共感性が、
わたしをその問題に留めている。
ロシアのウクライナ侵攻も
理不尽さの質は似ている。
なのに。
すごく驚いたのは、
シリアのアサド大統領が、
ロシアに対して連帯するみたいなことを言ってて、
え。。。え。。。どういうことって混乱した。
理不尽な侵攻にあってる者同士、
世界でいちばんウクライナのことに
共感を持ちそうなシリア。
なのに。え。プーチン支持?
アサドさんってISのひとだっけ?って調べなおした。
どうやら、不当なテロリズムから国を守るため、
プーチンさんがいちばん協力してくれたから、
という理由らしい。
ウクライナがシリアみたいになっているって思うのは、
遠い日本にいるわたしだから思うことで、
国の状況とか国交の状態とかでいろいろ変わるんだな。
と思った。
話がズレたけど。
誰かをまったく責めずにこういうこと書くのは難しい。
シリアのときには言わないのに、
イエメンのときには言わないのに、
ミャンマーで何が起こってるか知らないのに、
ウクライナだけ、とくべつ扱いはどうしてですか。
という気持ちはよくわかる。
どの出来事も、
知ってしまえば心あるひとであれば、
あまりの理不尽さに震えることばかりだから。
でもまずそれ、
(知ってる人のほうが)
少し耐えようよって思う。
そんなこと書いてるわたしも。
昨日、クイズ番組で、
アウンサンスーチーさんが正解っていうクイズを
やっていた。
わたしはちょっと身が竦んで、
いま、それが正解のクイズをやるのに、
ミャンマーの状況は、一言も説明されないんだ、
と絶望に近い気持ちを抱いた。
だから説明する。
アウンサンスーチーさんは非暴力を掲げて、
軍政だったミャンマーを民政政治へと導いたひとだ。
しかしそれを良しとしなかった軍がクーデターを起こし、
拘束された。
彼女に対してはいろいろな言説があるから調べてほしいけど、
少なくとも、今、この瞬間に、
珍名さん的にクイズに出していい人じゃない。
だから説明できることはするし、
わからないことは調べる。
調べても正解が出てこないことはよくある。
インターネットは難しい。
けどなかったらきっともっと世界は遠い。
知ってるひとは知らないひとにシェアしてく、
シリアに興味持ってないのに、
ウクライナ(流行)に乗るなんて、
という文脈じゃなく伝えること、
は大切だと思う。
ひどいよね。ウクライナ、でも同じようにね、
と話し始められたら。
わたしの生涯の一冊と言っていい本があって、
それは、ファン・ゴイティーソーロの
「サラエヴォ・ノート」
という本だ。
戦火のサラエヴォを
知識人および欧州諸国が見捨てている、
と、自らサラエヴォに赴き
静謐な筆致で描いたルポルタージュだ。
そのサラエヴォ・ノートの中に、
インテリジェンスとは、
知識のことではなく、
知をよりよきように運用することだ、
と書かれていて、
日本でいうインテリって言葉とは
そもそも哲学が違うんだな、と思った。
繰り返す引っ越しの中、
どこかにやってしまったけど、
読み返そうと思い注文した。
そのうちに届く。
いま読みたい本だ。
そのインテリジェンス、
という懐かしく大切な言葉と、
じつはつい最近、再会した。
それは、6月にやる公演、
登戸研究所の資料のなかでだ。
陸軍中野学校、
そして登戸研究所は、
前者が諜報活動のための人材教育、
後者が諜報活動のための様々な研究を行った場所だ。
そして、インテリジェンスという言葉は、
そこを運営していくための大方針のなかにあった。
実際、そのふたつの組織は当時の日本としては
例外的なほど独立と自由が推奨された場所だった。
厳格な守秘義務はあったが、
それ以外については、自主性が重んじられ、
ある意味、理想的な職場環境が維持されていた。
知的水準が高いひとたちの集まりだったので、
人間関係も概ね良好だったようだ。
しかしそこでやっていたのは、
生物兵器を含む戦時研究だ。
インテリジェンスってそもそもなんだ、と
自分の足元が崩れていくような感覚を覚える。
まとまりなく長くなった。
でもこのままにする。
無知であることはたぶんそんなにいいことではない。
ましてや誇るべきことでは。
でも知らないことは罪なんて言葉も、
なんだかちょっとしっくりこない。
あーあ、って思いながら調べて、
シェアすることも知の運用だし、
具体的に行動することも知の運用だ。
でも陸軍中野学校も
インテリジェンスの旗掲げてたんだぜ
(詩森の知識 NEW)ということを、
集合意識のなかでは、
言葉なんて
いくらでも好きに解釈できるんだから、
ってことを、
心の片隅に置いて進んでいく。
いつから知ったっていい。
それが今日だっていい。
シリアのことを知らなくても、
ウクライナのことを知っててもいい。
でも。最近SNSで読んだ、
シリアのことよりウクライナに心奪われるのはしょうがない。
だってウクライナでは子供が死んでるし、
自分たちとおんなじような(西欧化)した生活してる人
がいるから、
っていうのはわたしは賛同できないけれども。
仕方なくないよ。って言いたい。
ちゃんと知れば、
きっと同じように心は動くよって伝えたい。
ただそれを書きたくなる気持ちもわかったりはする。
子供の半分が自分の家を出ざるえなくなってる、
避難所になった劇場が爆破された、
こどもの病院が爆撃されている、
心がはりさけそう。わたしもそうです。
なのにシリアは、イエメンは?
イラクは?パレスチナは?
なんでウクライナばっかり特別扱いするって、
あなた間違ってる、
って言われたら、それは、辛いよねって思う。
知らないってことを責め立てても、
心の窓は閉じてくばかりだ。
でも、もしわたしたちのいる場所が、
侵略の対象になり、
なのに世界中から無視されてる状況で、
ほかの国が侵略されて、
そこばっかり難民受け入れとか、
経済支援とかされて、
日本はよく知らないし、
自分たちと生活様式が違うから、
仕方ないよ、って文章を読んだら、
どんな気持ちになるだろうか。
自分ごととして捉えられる範囲を、
ちょっとずつ広げていくことでしか、
解決しない問題がいま、
世界でたくさん起こっている。
日本国内でももちろん。
去年の秋から、
取材・執筆の時期で、
それがまた当社比重めの作品ばかりで、
窒息しそうだったので、
夜中にブログを書いてみる。
トップ画像はチェルノブイリの
廃墟となった幼稚園の近くの雑木林。
ガイドさんが、こんなのは、あとから来た人がやった
演出写真です、
放射能で人形の手足は取れない、と言ってた。
そのいちまい。