チラシができあがりました。
4月中旬に予定されていた撮影が延びに延び、
数か月遅れの仕上がりです。
「国語の時間」「hedge」も撮っていただいた、
敬愛する大村祐里子さんに撮り下ろしていただきました。
思慕に近い思いを抱く、ケーテ・コルビッツの絵画に
触発されたデザインです。
劇中のケイトと同じく
戦争で息子を亡くしたケーテ。
平和主義をひとつの思想と捉え、
最後まで貧困の傍で創作を続けたケーテ。
そのコンセプトに激しく反応してくれた神野三鈴さんと、
絵を見せた瞬間に全てを理解してくれた大谷亮介さんが、
真ん中を担ってくれます。
脚本は一行、一行、どういう意味が込められているのか、
考えながら言葉を置き換えていきました。
今回、タイトルは、日本語タイトルとして親しまれた
「みんな我が子」ではなく、
原題のままの「All My Sons」と致しました。
この終幕近くのジョーの言葉をどう訳すか、
それは、震えるような瞬間でした。
友人で、「波」を翻訳した佐藤澄子さんが、
監修をしてくれました。
すごく深いところまで助けていただきました。
この場を借りて感謝致します。
様々困難な状況ではありますが、
先行する公演がたくさんのリスクを背負いながら、
公演を続行している姿を見て、たくさんの力を貰いました。
いま、公演はおそらく経済のためのみに行われてはいません。
50%の客席で利益がでる公演なんてものはこの世にはなく、
出演者のひとり、スタッフのひとりであっても熱発があれば止まる。
リスクの森を、ただひたすらに歩くしかありません。
しかし、わたしたちの公演もこの段階では止めることは考えず、
そこに連なろうと思っています。
それは、今だからこそ演劇の力を信じて、などという生易しい
話しではないような気がしています。
わたしたちは、この体験を通じて、舞台上、そして客席含めて、
いのちをまるごと預かる仕事をしているのだと
知りました。そしてそれは、とてもか弱いものだということを。
それでも人は舞台を創ろうとする。
この場所を、命がけで、守らなければいけない、という
よくわからない気力だけが、
いま舞台を創っているひとたちのあいだに、
みなぎっているのを感じます。
「だからやっていい」というような幼い考え方をしない、
大人の演劇人たちが、
圧倒的な気概で、ひとつになって、なにかに立ち向かおうとしている。
その理由は、おそらく、何年かしないとわからないのかもしれません。
先ほども書いたように、
今だからこそ、演劇、なんて思えません。
でも創る側、見てくれる側、この双方命がけの営為のなかから、
宝石のような舞台がひとつでも多く生まれることを願います。
やる価値がある、という意味が、そのハードルが、
高くなっていないわけがないのですから。
6月と違うことは、検査を受けることができるようになったことです。
無症状者への検査が実費とはなりますができるようになったので、
最低2回、俳優同士、そしてなにより俳優からお客さまに、
感染が起こることがないように専門家のご意見も聞きながら、
進めています。
俳優が舞台に集中できるように予算を組みかえ、
ラッシュを避けた稽古時間になるよう稽古日程を組み、
演出部、制作部で、1か月以上前から防疫対策についてline上で話し合い、
万全の体制というものがどういうものか、考えつつ進めています。
万全なんてものがこの世にないことは、
もう知ってしまっていますが、
万全を尽くす以外になにもできないのです。
たまたまですが、この公演はうちの公演としては、
規模が破格に大きかったので、
なにがあってもいいようにここ数年頑張って、
内部留保を貯めていました。
たぶん全部なくなるし、
次がどうなるかわかりませんが、
とにかく今回は、やれることをぜんぶやって、
劇場を使用できるかぎりは開催のつもりでいます。
(公共ホールですから、都や国の方針には、
従う覚悟はしています)
しかし、ゼロに近づけることはできても、
ゼロはありえないのが昨今の状況です。
演目がわたしの作品ではないため配信が難しくなっています。
小劇場の、見に来る人みんなが家族か親戚みたいになるかんじが
大好きで、
小劇場はだからダメと言われることも多いけど、
それがあるからこその小劇場、と思っているのに、
たくさんのガイドラインを書いて、
ゴメンナサイ、と思いながら、守っていただかないと、
観劇ができなくなっています。
そのガイドラインは、コチラに、あります。
お客さまの協力なくして、客席の安全は叶いません。
10月、無事、劇場で会えることを祈りつつ。