今回の「あいちトリエンナーレ」での「表現の不自由展その後」
に関しての、一連のことに関して、
メモ程度に残す。
起こったことについては、ここに詳しい。
すべてがわたしと同じ意見ではないけれども、
基本として主旨にも賛同する。
今回の件に限らず、
ネット上の意見というのはなぜか相対値で書かれる場合が多い。
もちろん相対的な視点を持つことはいいことだと思うけれど、
Aさんに比べたらBさんは問題がない、的な意見は、
どうもわたしは違和感を感じる。
そういう場合、
Aさんも問題があるし、Bさんも問題がある、
ということではないのだろうか。
Aさんは仲間でBさんはもともと仲が悪い、とか
そういうのも関係ないと思う。
わたしは表現に携わるので、
表現の権利については日頃から考えていて、
現段階での自分の判断基準を持つことにしている。
(更新しなければいけないことももちろんある)
その前提で。
1.芸術の展示の中止を行政が求める→そもそも憲法違反なのでダメ
2.芸術の展示について国の方針と反するのでしていた助成金を支給しない可能性を示唆→大問題。憲法的にもありえない。
3.市民からのバッシング・中止を求める行動→権利としてはあり
4.テロ予告→犯罪なのでもちろんダメ
5.テロ予告を受けての中止→安全が確保されないなら妥当かも?
(準備段階での見通しの甘さは運営側の反省材料)
6.出展者側が十分な納得をしていない→主催者側がダメ
わたしはそう考える。
個人感情をそこに挟む余地がわたしにとってはない。
ただ、5に関しては、
いろいろグローバルスタンダードなども調べてみたが、
よくわからなかった。
ヨーロッパでは基本、劇場や美術館でも空港のような
セキュリティチェックをされる場合が多い。
(カメラや録音機に目を光らす日本とは違い、完全にテロや犯罪対策)
今回の場合は、展示内容があきらかに政治的だし、
インモラルに寄るものも多そうだから、
普通の展示会より、エマージェンシーに対しての準備は、
必要だったろうな、と個人的には思う。
「表現の自由」が守られなかった、という
おおきな、大きすぎる前例を作ってしまった。
これからは行政のみならず、
悪質な愉快犯によってもわたしたちの表現が、
脅かされる時代がやってくる。
もちろん現実的なテロ行為も。
それにしても。
表現の自由は、人権(憲法)の大きな根幹を成すものであるから、
行政はむしろそれを必死で守る立場ではないだろうか。
機動隊が来て、厳戒態勢を引いたっていいんだぜ、
とは思う。
主催者側も、お金さえ準備できれば、
クレーム電話対応のプロを雇い、
警備保障会社による手厚いセキュリティチェックをすることだって、
可能ではあったろう。
内情もわからないし、どの程度の危険性だったのかわからないので、
「すべきだった」という話ではありません。
6について。
悪いのは、テロ予告を出した犯罪者と対応しない警察なんだから、
主催者は悪くない、という意見を見て驚いてしまった。
ここについては、
テロ予告と対応しない警察は、まったくダメだけど、
だからと言って参加アーティストにあのような声明を出させてしまうのは、
(その後、当該展示以外のアーティストも声明を出している)
それは、わたしは、いけないことだと思います。
そもそもあの展示を企画する人たちなのだから、
政治的に決まっているし、
レジスタンス色も強いはず。
それが悪いなんて言われたら、それはもう、なんか、
なんで呼んだんだ、ってことになるのではないかしら。
主催者側は、
最後まで誠実な対応を、とこの立場になりうるアーティストとして
ぜひお願いしたい。
今日会った若い美術家のお友達が、
いろんなレイヤーがありすぎて、簡単にまとまらない、
と言っていて、わたしもそれには心から同意する。
なので現時点でのわたしの考えを記した。
ツイッターでも紹介したけど、本を一冊紹介します。
表現に関わる全ての人、
SNSで感想書いたり意見書いたりする人も表現者として、
みんなに読んでほしい本です。
すくなくともわたしは、すごく衝撃を受けました。
表現の自由って、自分にとって不愉快な表現の自由も
認めることなんだ、って。
この本で書かれているいちばん大きなことは、
「表現があったとき権力による中止や停止を求めることは、
自分の表現も脅かすことになる。
もしもある表現を不愉快と感じたら、表現によってのみ
抵抗すべきである。」
ということです。
仕事に戻ろう。