改憲議席の維持ができなかったことはほんとうにホッとしました。
とは言え、投票率の低さに暗澹とした夜を過ごした方(わたしも)は多いはず。でも、この投票率の落ち込み、無関心というより積極的離脱が意外に多いのでは、と思量しますがいかがでしょうか。
いままで以上にわたしの周りでも声を上げるひとが多く、それは必要と危機感に迫られてのことで、とても理解できます。
しかし、それ以外の考えを持つひとをSNSという場から排除し、投票になんか意地でも行きたくないという心持にさせてしまったのではないかという懸念も拭えません。
ここの分断について、どうすればよいのか、わたしはずっと考えてきました。
原子力発電が事故を起こしたときから、インターネットが普及したこの社会で、今後いちばんの問題はディスコミュニケーションとなるだろうと思っていたからです。
賛成派、反対派がお互いに優位性を確信している状態での論議はなにも生みません。
政治の話もまたしかりです。
さまざまな問題の要因は、歴史に学び、ひとの行動原理を分析し、考えないとあぶりだせません。無関心層がなぜ無関心か、ということは、根深い問題であると同時に、問題解決へのカギも握っていると思います。
民主主義の危機、とか言ったって、たぶん民主主義がなにかさえわからないひと、たくさんいると思うのです。そして、それは、その本人のせいではなくて、そうなっている要因がべつにある。
自分がわからなくて、価値も感じていないものに、自分の心地よい生活を乱されていると感じることは、わたしたちにも覚えがあるはず。行きたくもないのに行く「釣り」は、圧倒的な苦痛でしかない。「釣り」と「選挙」は違う、といきりたっても仕方がないです。いまの日本では「選挙」は任意の行動でいいというもので、なんの強制力もない。なのにものすごく重要なもので、大切なものであることは確かで、それを「政治の話はしないほうがいい」という常識がまかり通る国で、日本史は、戦争終わるあたりでなぜか尻切れる、政治経済の授業は選択制。そんな国で運営しようとしている。
無理があるんではないでしょうか。
とは言え、教育を変えるには政治によくなってもらわないと不可能なわけで、なかなかの堂々巡りです。うーむ。どうしよう。
こう書くと、お前も選挙に行くことに優位性を感じてるんだろ、と思われますよね。「上から目線」と。いえいえ。上からではなく、ほんとうに困っているし、怖いだけなんです。どうにかならないかなって、途方に暮れているだけなんですよ。自分の力だけでなんとかなることだったら、こんなに困らないです。
「ボードゲームしないひとは人生損してる」
とか、ましてや「ボードゲームどうしてもやってほしいんだよ。」とか
言ったことないですしね。
とは言え、こんなにも危機感を感じているひとが身近にいるんだ、って実感できたという意味でSNSの果たした役割は大きいと思うんです。孤独ですからね。SNSは繋がるという意味ではとても優れた面がある。「れいわ」の戦いがまがりなりにも周知されたことや、立憲の議席数増とかは、SNSあっての成果と言えますよね。
しかしこのSNSのせいで、もしかしたら投票率が下がっているのかも、という視点も持って、考え続けていきたいと思います。