無頼茫々というお芝居でこんなセリフを書いた。
人権の意味を教える授業のセリフだ。
『世界で初めて人権を高らかにうたったのはアメリカの独立宣言でした。曰く「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている」。
西暦1776年のことです。
その独立宣言を参考にして革命後のフランスで人権宣言が行われました。
人権宣言、その第一条「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。」。
ここで大切なことは、このふたつの宣言が指し示すように人は生まれながらにして平等である、ということを素直に信じることでしょうか。この「人には人権があり、それは犯さざるべきものである」という考え方が、わたしたちがそれを発見してから、まだ100年もたっていないあたらしい考え方なのだということのほうがより重要なのではないか、そうわたしは考えています。
生まれたての赤ん坊がひとりでは生きていけないように、若い思想はその是非について検討すると同時に、手厚く守り育てていかねばならないものです。なぜならば、「人は生まれながらに平等である」という宣言がなされたということは、その前提として、不平等な社会があったということです。つまり社会というものは、そのまま、自然のままにしておけば、基本としては不平等なものとして運営されるということを長い歴史が証明しているとも言えるのです。』
今回の選挙にあたってもこのことを考えている。
わたしはLGBT当事者ではないけど、同性婚を実現したいし、
結婚はもうしてないし、今後もしないけど、
夫婦別姓を選択できるようになってほしい。
子育てはしてないけど、子育てがしやすい社会であって欲しいし、
女性劇作家と言われるのには慣れたけど(慣れちゃいけないかもだけど)
男女の受験格差なんてものは断固としてなくすべきと思っている。
それは人権というものの意味に立ち返ったときに
どう考えてもそれ以外の選択肢がわたしには思い浮かばないからだ。
住民投票で、辺野古基地反対を突き付けても
議論のテーブルさえ用意されない。
そんな国に住んでいることが恥ずかしい。
辺野古賛成・反対とかはこの際おいておいても、
住民投票の結果がガン無視されたら、
わたしたちはどうやって自分を守ればいいのでしょうか?
そんなことを許しちゃったら一時が万事ということに
なりやしませんか?
しかもわたしたちには選挙という手段があって、
わたしたちが選んだ政治がそれを行っているわけだから
どんなに不本意でも自分の責任ということになってしまう。
自分の生活費とは比べ物にならない規模の予算で
劇団経営している身としては、
もちろん消費税はものすごく大切な争点ではあるけど、
やはり人権を守るということを礎として政治が行われるべきだ
というのがなにより大切だと思う。
しかし人権はとてもか弱いものだということは、
人権宣言から200年以上たった今もヘイト・スピーチ問題
なんてものがなくならないのを見ても明白ではないか。
人権が守られるとはどういうことか、
それはどんな社会なのかをベースに考える。
そうすればそんなに間違うことはない気がしている。
税収とその使い道については、
まずはわたしたちが実現したい社会をデザインして、
その結果として設計されるべきものだ。
わたしは演劇に育ててもらって、
だから政治のことも経済のこともすこしはわかる。
でももともとはまったく興味がなくて、
どこか遠い世界のことだと思っていた。
なんとなくわかってきたときに、
そういう教育を親からも学校からもしてもらえてないことに気づいた。
政治が自分の人生とこんなに密接なものだったなんて、
誰も教えてくれなかった。
むしろそれを話したり考えたりするのは「はしたない」
って意識だけ育てられてきた気がする。
そんななかで育ってきたわたしたちは、
与党と野党とか、
言われたって用語からしてわからないひとだって
たくさんいるはずだ。
選挙に行かなきゃいけない理由だってよくわからないんじゃないかな。
そのあたりについて書きたいこともたくさんあるけど、
まずはわたしは「人権を守る」ことを大切に、
政策を見て投票しようと思う。
という個人的な意思表明などしてみます。
参院選は、衆議院選と違って自分の意思表示がしやすい選挙です。
東京も大きなひとつの選挙区だし、
いろいろ問題のあるシステムだけど、
比例区(全国区)があるしね。
衆議院選は、自分の選挙区に支持したいひとがいなかったら、
アウトで、もう仕方ないからこの人って、
投票しなくちゃならなかったりもするから。
今回は、引き算ではなく、
ちゃんと足し算で、わたしは、投票します。
あなたに入れたいからわたしは入れるよ。
わたしはなんにもできてないけど、
すくなくとも田島さんはわたしと演劇やるようになってから、
選挙に行くようになったそうです。
身近なひとに、一生懸命話すくらいしかないのかな。
生き方で示すしかないのかな。
でもそれがきっと意外に大切。