アウシュビッツへの旅

ずっと長くホロコーストということについて考えてきました。
なぜホロコーストということが起こるのか。
ひとはなぜそんなことができるのか。

アウシュビッツはずっと行かなければ、と思っていた場所です。
そのタイミングがこの時期と重なりました。
いつも思うんですが、場所に行けばすぐにわかることが、
まことしやかな嘘で歪められるのはどうしてでしょうか。
辺野古の座り込みをしているひとたちはお金をもらっているそうですが、
わたしはそんなのは見たことないですし、
座り込んで運ばれてもお金なんて貰ったことはもちろんない。
そもそもどう考えてもそんなお金はどこにもありません。
皆、手弁当。
警備会社のほうはだいぶ、お金をもらっていたみたいですけどね。
しかもそれはピンハネされて現場のひとにはいかなかったみたいですけどね。
座り込んでいるひとたちは、
せめてウチナンチューの警備会社に発注してほしいよ、
と思いやりを見せていました。

アウシュビッツは、年間200万人超のひとたちが訪れる場所です。
しかしだいたいの場合、
バス等のツアーか自家用車で行くのではないでしょうか。
わたしたちはクラクフから自力で路線バスを使っていく手段を使いました。
そういうひとは、たぶんとても少ないですが、
早朝出発し、霧のかかる道を走っていると、
運ばれていったたくさんのひとの情景を
追いかけているような心地になりました。

日本語ツアーもあるんですが、
うまく見つけることができず、
わたしたちは英語ツアーに参加しました。
コースは3時間と6時間がありますが、
行ける機会があったら迷わず6時間にするべきだと思います。
というのも、アウシュビッツは第一から第三まであり、
第三はもうなくなっていて、
今見ることができるのは第一と第二。
3時間だとおそらく第一しか見る時間がありません。
もしくはすごく駆け足か。
しかし第二収容所、ビルケナウを体験しないと、
行った意味がない、と言えるとわたしは思いました。
ガイドさんはとても丁寧で、しかも個別性が尊重されていて、
それぞれの道筋を持っています。
なので、6時間でもまったく時間は持て余しません。

わたしたちのガイドさんはたぶんポーランドの方でしたが、
巻き舌でそのうえとても早口だったので、
わたしの能力ではかなりの部分聞き逃してしまいました。
それでも彼女と歩くアウシュビッツは特別な体験でした。
怒り、悲しみ、そしてものすごく勉強してらっしゃることが、
その情報量から伝わってきます。
わたしのアウシュビッツは、
彼女の眼差しを通して観たアウシュビッツでした。
出会うガイドさんによって一期一会のこの場所がある。
そんなふうに思いました。

ここが第一収容所アウシュビッツ。
ほんとうは、オシフィエンチムという地名です。
ドイツ人には、この言葉がアウシュビッツと聞こえたので、
この名前になってしまったということです。
このくらいの人数がひとりのガイドさんについて回ります。
ガイドツアーは現地でも申し込めますが、
予約しておくと待ち時間がありません。
ハイシーズンは予約なしだと
ガイドツアーはできないかもしれませんので、予約をお勧めします。
公式サイトから申し込めますが、
そうなるとわたしたちのように自力で博物館の入口まで
たどりつかないとなりません。
割高ですがクラクフやワルシャワからもツアーが出ているらしいので、
利用するのも手だと思います。

これはとても有名ですね。
義足や義手、松葉づえ。
連行されても労働ができないと判断されたひとは、
そのまま家族からも引き離され、
処刑されました。
しかし、こういったものは利用価値があったので、
引きはがされるわけです。

女性の髪の毛がうずたかく積まれた展示もあります。
鬘として利用するために、長い髪を切られるのです。
ご遺体の一部ということでここだけは撮影禁止です。
知ってはいても、
やはりどうにもならない感情に浸されます。

これは食器たち。
すぐに帰るつもりですからこういったものをたくさん
持ってきていました。
女性だからでしょうか。
生活の器物には胸が潰れる思いがします。

これは鞄。

靴の展示を見る田島さん。

こういったもののなかで価値があるものを貯蔵する倉庫を
カナダ倉庫と言ったそうです。
ガイドさんの説明には、
何度もカナダという言葉が出てくるので、
なんだろうと途中で調べましたが、
なんとなくお金持ちのイメージがあったから、
捕虜たちから奪ったものを保管した場所をそう呼んだそうです。
その発想が残酷すぎます。

これは殺された人たちを記録してある本。
その質量、消化しきれないほどの多さを、
触り体感できるようになっています。

ここまでで3時間。軽く食事をして、
(売店もレストランもあります)
シャトルバスでビルケナウに行きます。

これは有名な引き込み線。
ここに到着するたくさんの捕虜の方たちの姿は、
いろいろな映画で観ることができます。
わたしもアウシュビッツ関連の映画は相当数見ているので、
自分の記憶と一体化しており、
なんともいえない気持ちになりました。

ここか、と。

ビルケナウの奥地に小さな建物があります。
ここは、
着替えという名目で、金目の服を奪われ、
シャワーを浴びると言われて、
ガスで殺され、
焼却された場所です。
わたしたちは、その捕虜の方が辿った順番で歩きます。
とても機能的でとても整然としています。
効率的で機能的なドイツらしい構造です。
その構造を捕虜として味わったとき、
スッと真ん中が冷える感覚がありました。
殺したひとたちの意思の強さが伝わってきた。
そして、殺されたひとたちは、
死の瞬間まで、しらなかった。
自分がここで死ぬということを。

ここが焼却炉。

ここがガス室のあとです。

最後の部屋に捕虜の方たちが残した家族や結婚式の写真が
飾られていました。

これでも虐殺も強制連行もなかったと言うのでしょうか。
見てから言ってください。
見ても、言うのかもしれませんが。

チェルノブイリもそうですが、
ひとの言葉がなければ、
わたしたちはここでなにがあったかを知ることはできません。
そこをチェルノブイリにするのは、
そこをアウシュビッツ・ビルケナウにするのは、
わたしたちの想像力と、知識です。

たくさんの文学、たくさんの映画、
演劇、写真。記憶。記憶。記憶。

心を尽くして残してくれているこの場所を。
穢れの記憶の場所を、未来の時間のために
残してくれているのです。
これ以上、汚してどうする。
遠い日本から、傷つきもしない場所から。
許せない。
そう思います。

詩森ろば
serial number(風琴工房改め)の劇作家・演出家です。

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