「アトムが来た日」が終わって、年が明け、
オフィス・コットーネプロデュース「夜が摑む」を演出していました。
ふたつともたくさんのお客さまに来ていただき
ほんとうにありがとうございました。
「アトムが来た日」は大切な作品ができたな、と思い、
すごく大事に稽古してもらって、
本番中も足掻いて、最終日まで話をして、
深化しながら千秋楽を迎えることができました。
そんな作品が、
伝統ある岸田國士戯曲賞にノミネートしていただきまして、
座組みんなの気持ち、お客さまの気持ちに応えるものに
なったのかな、と嬉しいできごとでした。
とは言え、最終審査はこれからなんですけどね。
会う人に「おめでとうございます」って言われると、
アレ、なんのことだっけ、と毎回考えてしまう程度には平常心です。
そんなことよりも、福島に献身的にかかわっている知人友人の
観終わったあとの複雑すぎる表情のほうが心に残っています。
こんな作品観たくはなかったと思うんです。
いちばん心を使い時間を使っているひとたちを、傷つけた。
そんな作品だったと思っています。
でもおそらくいちばん理解してくれるのも彼ら彼女らだった気もしています。
わたしは未来の物語というかたちで、現実の話をしたと思っています。
と同時に解決する方法があるとしたらコミュニケーションと思考
というひとつの見解も示したつもりです。
わたしたちの稽古場は、ちいさなひとつの広場でした。
ここで分かち合ったものは図り知れません。
演劇的な成果のために創った演劇とは思っていません。
誤解を恐れず言うならば、わたしはこんな演劇は書きたくないのです。
今年の一月に、化石燃料を使用しないで水素ガスを作り出す方法が
できた、とニュースになりました。
それはグループラインでシェアされ、
わたしたちはほんのひととき、精神的な高揚を味わいました。
そんな仲間がいるというだけで、ここからの演劇を勇気をもって作っていけます。
継続して考えていくべきテーマです。
書きたくはないけれど、考えたくもないけれど、
書いてしまった責任を感じる題材でした。
逃げずに考え、時がきたらまた演劇にしていこうと思います。
「夜が摑む」はじつは外部では初めて演出のみをやらせてもらいました。
その一作目が、心から好きと言える作品で幸運でした。
ひとがひとを殺すことは解釈できない。
その途方もなさ。
わたしと大竹野さんはほとんど同い年で、
おそらく似たようなカルチャーを浴びて育ってきたという気がします。
わたしの高校はやけに哲学的な高校で、
教室の片隅で、わたしたちはよく議論をしました。
文化に飢え、焦がれて、アンダーグラウンドな音楽や、
ダウナーな漫画、小説、哲学書、そんな話をしながら、
自主映画を撮り、演劇をして、
小説を書き、短歌を詠みました。
そして、毎日、毎日、トランプでナポレオンをしていました。
そんな同級生のなかに大竹野さんがいたような気がしてなりません。
だから最初から、早く死んじゃった大切な同級生から預かったホンだ、
と思って演出していました。
いいかたちで世に出してあげたい、だって関東ではおそらく初演とも
いうべきホンなのです。
それが叶ったかどうかはわたしにはわかりません。
お客さまの言葉で、一喜一憂しました。
自分の作品のときはもっと冷静なのですが。
たいせつでした。がんばりました。がんばるのはあたりまえですが。
わたしは演劇家であると自分で思っているので、
演出だけの仕事というのはいただけるものなら、
これからもどんどんしていきたいと思っています。
その最初を預けていただき、プロデューサーの綿貫さんには
感謝しかありません。
綿貫さんがリスクを取りやっている公演です。
綿貫さんが観たい芝居を作れなければ意味がないとも思ってやりました。
少しでも心に応えるものになっていればいいのですが。
強い身体をもった俳優たちにも感謝します。
犯罪を犯す、ということはどこまで書いても言語化できない。
ただそのときの身体性をありありと感じることはできる。
そのために俳優の身体が不可欠でした。
削ってくれたと思っています。
そして立ち会ってくれたお客さま、ほんとうにありがとうございました。
もっと早く書くべきご挨拶が遅れて申し訳ありません。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。