先週から「アトムが来た日」の稽古が始まった。
ギリギリで申し訳なかったけど、
前の日になんとかホンを上げて、準備して、稽古に向かう。
そして意見をもらいながら、解釈稽古を進めながら
リライトを進めていった。
いいホンが書けてるかもしれない、
という期待感はじつは途中からあった。
「アンネの日」も「海辺の鉄道の話」も
手ごたえはあったけど、書き直し前提で、
あ、これは確実にいいものになるな、と思ったのは、
リライトを超えてからだ。
しかし今回は、たぶん、新しい構造を発見したのだ。
この作品に対していちばん適切な構造を。
そしてそれは、いままで他の演劇で見たことのない構造だった。
入れ子構造というのはスタンダードだけれど、
その入れ子の要素が、見たことのないタイプのものだったと思う。
ずっとそれが見つからなくて悩んでいた。
最後に決めたもうひとつの設定と、最後に見つけた資料。
そのふたつが大きかったと思う。
でも、書いてるあいだに安心なんてできるわけがない。
もしかしたら、と思いながら、
不安はいつも以上に強大で、
作品は作家のわたしに対してさえ暴力的であった。
そして、稽古入りの日が来た。
読み終えた俳優たちが、高揚しているのが、
はっきりと手にとれた。
俳優が生きなければならない世界。
それを生み出せたんじゃないかな、と思った。
もうひとつは俳優同士のあいだに流れるものだ。
わたし以上に、俳優たちは、俳優に対してシビアだ。
このあいだ読んだ記事で、
アンソニー・ホプキンスが、
ホンを読めない俳優とやるのは時間の無駄だ、
と書いていて、わたしはホントにそうだな、と思ったんだけど、
俳優同士のやり甲斐というのは、それプラス
呼吸のやりとりだったり、人間性だったり、相性だったり
さまざまな要素を含むもので、
いい座組を組めたかどうかは、
やはりやってみるまでわからないものなのだ。
読み合わせをしていて、俳優たちのお互いに対して、
「お前やるじゃないか」と思っているのが、
あんな風にポコポコ生まれているのを見るのはいいものだな、
と思った。
「アンネの日」の初日を思い出した。
いまも、あのメンバーはすごく仲がいい。
人生をひとつ、わけあったという思いがあるからだと思う。
今回もそんな座組を作れたんじゃないだろうか、
そう思える初日だった。
そこを起点にして、リライトをして、
昨日、それが仕上がった。
舞台監督の翼さんは、ここ一週間ずっと稽古場にいてくれた。
え。解釈稽古だし、話し合いですよ、と言ったら、
解釈稽古ほどいないといけないでしょう、と言ってくれた。
演出助手の和田さんもどんどん進めてくれている。
小道具表が候補まで入れて完璧に出来てきていることに驚いた。
複雑な香盤表も早め早めに作ってくれるので、
わたしはそれを見ながらプランを立てるだけでいい。
そして昨日は、明日から小屋入りという美香ちゃんが来てくれて、
すごく大切な照明と美術が絡むある実験をしてくれた。
みんなでこれかな、あれかな、と光について考えた。
その横で、「アトムが来た日」が、紙という平面のうえに
完成した。
社会的なテーマであることは間違いない。
政治、科学、さまざまなことが絡み合い、情報量は限界値を超えた。
でも、なんだかこれは、
孤独についての話だな、と、わたしは思ったのだ。
哲学の話で、つまりは人間の話だ。
たいせつなホンが書けた。
わたしにとって。そしてたぶん俳優たちにとっても。
あとはお客さまにとってもそういうものになるように、
空間というものと戦う稽古が始まる。
わたしが演劇をやる意味。空間がそこにあること。
そこに俳優が立つこと。
チケットが珍しく早めの動きを見せています。
千穐楽が、まもなく完売です。
6枚です。
そのあともしかしたらベンチ席通路席、出せるかも・・・ですが。
あと、ぴあにはちょっとだけ残ってますが。
じつはそう言う状況はそんなに好きでなくて、
小屋入り一週間前くらいに急いでくださーい、
みたいに言うのが小劇場っぽくて好きなのですが、
ちょっとこれは早めにご予約が吉かもしれません。
お待ちしております。
珍しいけど、わたしのフォームを張ってみます。
あるんです。そんなものが。笑。
コチラ です。
そして、稽古場での俳優たちのつぶやきまとめを作りました。
コチラです。