杉田水脈さんの「LGBTのような生産性がないものに税金を使うのは無駄」というあの寄稿は、論を重ねて否定する価値さえ感じないけれど、でもあれが、現在の政治が目指す方向性であるとは言えそうだと思う。すなわち、生産性が税金の使い道として大切である、という考え方である。
税金というのはそもそもわたしたちが日本に住むための会費みたいなもので、個人では賄えない、公共の福祉、インフラ整備、等に、国が代理で管理し、使用するものだ。
119番に電話すれば救急車が来て、110番に電話すれば警察が来てくれる。障害があったり、年を取ったり、病気になったり、そういうひとの生きづらさのためにも使用されるし、教育にも使用される。年金だって、保険だってそうだ。(余談だけど、日本の税金の使い道のほぼ半分が公務員の賃金と年金制度とか保険制度を支えるためのものだ。これについてはまた書こうと思う。)
このすべてに生産性があるか。ないと思うし、ある必要もない。儲けを出すことが前提のものではないからだ。儲けが出ないけれど大切なものを、みんなでお金を出し合ってなんとかしていきましょう、というのが税金の本来的な主旨であるわけで、そもそも生産性なんて言葉とは無縁なものであるはずなのだ。
しかし、国家が赤字で、支出が縮小できないわたしたちの国では、現在、税金の使い道として、「生産性」が求められている、らしい。いや。おそらくそれが、第一義となっていて、それは少なくとも与党内部では常識というか大前提でモノゴトが進んでいるのだろう。
でなければ、「生産性のないものに税金は使えない。」なんていう、言説が出てくるハズがない。正直で、考えが足りないから、うっかり書いてしまうだけで、彼女のあの発言の下に、すごく大きなほんとうの問題が隠れているのではないかとわたしは思う。
だから、豪雨災害でひとが死んでいる、この猛暑と重なり一刻も早い対策が求められる現状のなか、カジノ法案のため国土交通省大臣が国会に据え置きされるなんて事態が起こる。カジノ法案は、財界的には悲願とも言える法案で、外貨を流入させるという赤字財政回復のため切り札でもある。外貨が流入せずとも、国民の預貯金を吐き出させるひとつのカードにはなるだろう。(日本がこんなに借金だらけでも国際社会の信用が失われないのは、国民の預貯金を合わせればまだ黒字という国民の経済的体力によるものです。そして日本人のギャンブル依存気質はパチンコで証明されていますね。)まさに生産性(経済)がなににも勝るし、そういう観点で政治を進めているひとたちにとっては、そうでないことでキュウキュウとしているひとたちは、バカに見えるということなのかなと思う。彼らにとってみれば、カジノ法案を優先するほうが、国のため、なのである。その価値観のまえでは、なにを言っても無駄だ、というのが現在の状況なのだ。
というようなことがよくわかった今回の騒動であった。このままでは、例えば生産性のために、オリンピックは開催され、生産性のためにひとが死ぬ。オリンピックばかりではなく、一事が万事そんなカンジでモノゴトが進んでいく。
以上、杉田さんの言説について、人権問題としてのアプローチはたくさんあったけれど、税金と生産性という観点から書いているものがあまり見当たらなかったので書いてみました。税金と政治とか経済と政治についてはいろいろ考えることも多いので、また書きます。