石牟礼道子さんが亡くなった。
と書く日はいつか来ると思っていたけれど、
ついにその日が来てしまった。
高校一年生のとき、倫理社会の副読本に、
『苦界浄土』の一部が掲載されていた。
本屋に行って、すぐに購入した。
一気に読んだ。
そして、夏休みかなにかの読書感想文を書いた。
それが県でいちばんになって賞をもらった。
賞というものにほとんど縁がない人生だったので、
その賞はとても長く、わたしにとって
唯一人生でもらった賞だった。
それは、どうでもいいのだけれど。
『苦界浄土』からわたしの自覚できる意味での人生は始まった。
それまでは親がくれた命をただ生きていたこどもの時間だった。
物を見る物差しを、その本がくれた。
わたしはずっと、『苦界浄土』と。
そして石牟礼道子さんという作家のまなざしの在り方を、
礎にしてものを書いてきた。
『Hg』を書くときに、はじめて水俣に行った。
わたしにとって『苦界浄土』の世界のなかに固定していた水俣にも、
現在という時間が流れていることを知った。
紙資料だけに頼らず、
かならず現地を歩くことにしたのもそれからだ。
そのときも石牟礼さんの態度というものが、
どこかでわたしに貼りついている。
取材というフォワードな態度をとることができない。
傾聴する、ということ。
自分の作劇にとって、
おいしい話を引き出そうと躍起になっていると
見失うことが多すぎる。
自我を無くし、重心を下げ、傾くようにして聴く。
『Hg』を書くときに、『苦界浄土』はしかし再読しなかった。
書き上げてから、一気に、続編まで読んだ。
豊かで、哀しくて、美しくて、
ひとつも色あせぬばかりか、
わたしが年をとった分だけその深さが身に染みた。
写真は、水銀を埋め立てたコンクリと
水俣のうつくしい海の境界線である。
このコンクリが経年劣化で、
水銀が流れ出す可能性が危惧されている。
九州でも地震が相次ぎ、それもまた心配だ。
60年かけて、ようやく取り戻した美しい海。
天の魚。無農薬の農産物。
石牟礼さんは、はらはらと見守っていることだろう。
水俣だけではない。
彼女が全身で守ろうとしてきたものが、
もろもろと崩れそうな世界をいまわたしは生きている。
最後まで背中を追っていきます。
諦めないと約束します。
石牟礼さんの魂が、
心安らかにねむれる世界のために書いていきます。
いかなければと思います。
足元にさえおよばなくても、それでも。
ありがとうございました。
わたしの人生を照らしてくれた大切な文学。
そのすべてを。
ありがとうございました。